美しく

おはようございます。

「にんげん学」京都講座へご参加の皆さんありがとうございました。来月もお友達にお声掛けをして是非ご参加下さることを願っております。
昨日はまたこの欄に書き込みをよくして下さいますOさんがお友達と二人で訪ねてくれるという嬉しいこともありました、Oさん遠いところをありがとうございました、またお出かけ下さい。
昨日午後一時前に寺に戻ることが出来ました。新幹線に月数度乗っておりますが必ず新しい発見や気づきがあります。旅をすることの楽しさの一つです。
旅と言っても大げさなものではなく、通勤通学でも同じであろうと思ってます。毎日が新しい一日なのですから当然のことなのかも知れません。漫然と送っていると見逃す、見落とすかも知れませんが、毎日が新しいという気持ちでありますと意外と楽しい事に出会うのです。余りキョロキョロしたり、ジッと見過ぎるのもいけませんが、それは良識です。
まあ私の場合は「人の振り見て我が振り直せ」の場合も多くあります、やはり立ち居振る舞いの美しい人には見習いたいという思いとなります。
美しさはそうそう簡単に身に付くことはありません、普段の生活態度、物事に対する姿勢が一番に出るのではないかと思っております。楽をしようと考えて生活しているか、感謝をして生活をしているか、言葉遣いもあるでしょう。それが顔かたち、立ち居振る舞いとなっていく。
憧れを持って生きると言うことも大切な要素かも知れません。立っているだけで、また座っているだけで美しいということに私は憧れます、それだけでオーラがある。
言葉を発していない状態が一番にその人の本質、内面を表していると思っているからです。そのためにも日常に人と接していないときの生活態度や心に何を思っているかがやはり問題となります。
自然は不思議です、同じ風景でも毎日同じようには見えない、全てを受け入れて輝く、自分をしっかりと保っている、人として自然から学ぶことが多くあります、周囲の光を受けて輝くのは自然と同じであろうと思っております。
どのような光を受けても輝く存在でありたいと願うのはわがままではないのではと思っております。
論語の音読を静かに日課とするなどということも自然に人格を作っていくものではないでしょうか。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。   合掌