痛いと言いながら

おはようございます。

昨日は定期検診の日、心は快調なのですが体調が余り芳しくありません、報恩登山で歩いたのも少し響いているようです耳にも未だ蝉が居座っております。
20代には飛ぶように歩いていたのが今ではノロノロ(20代と60代と比べるなという声が聞こえます)、お陰で見落としが少なくなったようです、悪いことばかりではありません。
今日はこれから福井へ一泊での講演です。講演後には楽しいご褒美、体調云々は言ってはおられないのです。今日も張り切っていきましょう、皆さん。
身体の一部分にトラブルを起こしますと全体に影響を及ぼします、これは当然でしょう。悪い部分に引きずられる。しっかりと静養ができればいいのですが、そのように恵まれた人は余りおられないのではないでしょうか、どこかで無理をしなければならない。
無理はいけませんがしかし私は「為すべき事を為したい」と考え行動しております。トラブルの部分に出来る限り負担をかけずにやる、このようにしております。
そうしますと不思議なもので新たな部分の活用が見えてきて他の部分の働きで補うことが出来るようになっていくのです。補っていくというのは「新たな世界が見えてくる」ということです。
今まで通りには出来ずとも新たな「思考、形態」が生まれる。
トラブルのない人生などあり得ないでしょう。人生はトラブルだらけといってもよいのではないでしょうか。もしもトラブルがないとすればそれは進化(変化)がないといっても良く、進化(変化)がなければ自然忘れ去られる存在となるのです。「窮すれば変ず変ずれば通ず」。
トラブルは「進化のためのトラブルだ」とつくづく思うのです。体調を崩したお陰で人を思う心が増したと自分では思いますし、人の存在のありがたさも以前より増しております。
「何かにぶつかって気づく」この事は本当にその通りです。もしトラブルに出会ってその事に執着し、今まで通りでなければ、という固定観念で人生を考えたとき、そこで終わるのではないでしょうか。
「為すべき事を為したい」という気持ちが強くあれば、トラブルはトラブルとして人生の情熱を失わないと考えます。もし私が「関節リュウマチ」という病に負け、「ダメだ」と固定観念に囚われてしまったなら今日はないでありましょう。
リュウマチさん」ありがとう、と毎日感謝しております。先日の天代座主猊下のお言葉「何かが出来る」というお言葉は私のためにあったのです。
今日も「あ痛たたぁ〜」を叫びながら講演をしっかりとしてご褒美にも懸命にチャレンジします、二日間のご褒美なのです。どうやら天は我を見棄てはしないようです。皆さんも何かトラブルに出会ったならば「新たな自分との出会いだ」と明るく考えて行きましょう。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。   合掌