生き様を学ぶ

おはようございます。

「にんげん学」小倉講座へご出席の皆さんありがとうございました。やはりご出席下さる皆さんのお顔を拝見しますと安心します。出席は自由ですよと口で言いながらもやはり大勢来てくださることは嬉しいことです。懇親会も盛り上がりますし来月もよろしくご出席下さい。
今日はこれから博多へ出てお祓いをしてから宇治へ戻ります、心華寺では研修が待っております、午前中から始まっておりますので夕方帰って直ぐに話の予定です。
皆さんは「本音と建て前」ということはよくご存じのことと思います。これはどちらも大切です。しかしどちらにも偏ってはいけません。
よく人生は本音が大事ですよねと質問されます、私はその通りですよと答えます。しかしそのあとにこうもお話しします。「自分に正直であると言うことは相手に押しつけになりますよ」という話です。
では建前はどうかということですが、これまた建前ばかりで話をしていきますと「真実が伝わらなくなる恐れが」出てきて軽薄な感じを与えることにもなりますし、信用にも関わってきます。何か空々しいと言うことです。
ではどうすることが大事かと言いますとやはり「学び」でしょう。歴史的人物から処世を学ぶことです。いつも書きますが「心は何かを通して表現する(投射・投影)」のです。そこでどのような「生き様」を為すべきかを学ぶことが重要です。
知識を得る、学ぶということは「伝える」ということでもあります、言葉そして行動で私たちは伝えているのです。学ぶことの重要性の中に「人に学ぶ」事の重要性があります。
そこで「にんげん学」なのです。様々な世界、立場、仕事にたずさわってきた人々の生き様を学ぶのが「にんげん学」なのです。自分の心を相手に誤解されないように「何を通して言葉を発していくか」ということです。
未来は常に不確実であるから未来であります。だからこそ学び続けると言うことが大事になるのです。先日も書きましたがいくら真面目に仕事をやっていても競合する相手はいくらでも出てくるわけですから、自分よりよい品を、より高度な製品を、より人格の優れた人も現れてくるのです。
時に応じ学ぶことの重要さです。
故に学びを続ける必要性があるのです。「大学」という書に「至善に止する」という語があります、これは停止するという意味ではなく、正しい行いを止めない、学びを止めない、正しさに止まるという意味です。
学ぶこと、知ることは大事ですが、それを失ってはなりません。
大学の冒頭に「明徳を明らかにするにあり、民に親しむにあり、至善に止するにあり」と人生の三綱領(三つの大切な徳目)が人生の大事として提示されております。
宇宙は創造変化の連続です、故に明徳(現象化されたものを分析する必要性)、民に親しむ(人の心も変化する故に仲良く和合する必要性)、至善に止する(学び続けることに止まる、学び続ける)ということが大事なのです。
進化、変化が無ければそれは「死」を意味するのがこの世の習いです。学ぶ心を失ったときに事業も人生もそこで停止するのです。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。      合掌