お牘のこと

おはようございます。

今朝も蒸し暑さを感じます、もうすぐ研修生の起床時間、誠澄が起床の銅鑼を鳴らしに行くでしょう、それが起床の合図です。
昨日も笑顔で帰られた研修生のように今日も笑顔で帰ってくださるよう勤めたいと思います。一期一会、大切な時間、大事にしたいものです。
毎月ご祈願をしてくださる方に私は手書きでお牘を書きお祈りをさせていただいております。そのお牘に祈祷文を書きますときから祈願下さる方の心願を思い、お顔を思い描きながら書かせていただいております。
この度の7月1日の法要にご献灯いただきました皆様のご家族のご安泰、心願成就、転禍為福の「大般若六百巻の祈祷牘」も同じようにお一人お一人を思いながら書かせていただいております。
ご本尊様の前でだけお祈りすればいいのだという考えではなく、ご献灯お提灯のお申し込みをいただいたときから念じさせていただくということです。
木がお牘になるということは「魂を入れる」ということでもあり、そのことで良縁に恵まれ、悪縁を断ち切るということになると考えております、師匠からもこのように教えこまれました。
万物の創世者を神と称し、その神の意志を受けて創造変化出来るのが「人」でもあるのあです。「天・地・人」という縦糸は古人は何を意図として言ったのでしょうか、それは天の気を受けて地は形に、その形に成った物を私たち人間は「天地の気を受け」暮らしていくのです。
天地は万物の拠り所なのです。その天地からいただいた恩恵を創造変化出来るのは「人」なのです。木を家に、家具にといった具合に、変化させることによって多くの方々のためになる、役立てることと出来るのです。
ある意味で形や、物は全ての「拠り城」なのです。花々が咲けば多くの昆虫や小鳥たちが、水辺には多くの生命がといったようにです。
木を変化させ「お牘」にして祈った「形」には良縁が「寄り集まる、拠り城」なのです。また悪縁を避ける「結界」ともなるのです。このような思いを大切に一字一字お牘に書きしるし入魂し神々の「拠り城」となして私たちは守られていくのです。
ご祈願、ご献灯を下さいました皆様はどうぞ安心してお牘をお家にお祀りいただきますよう。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌