使い慣れないことも

おはようございます。

「にんげん学」大阪講座へご参加の皆さんありがとうございました。これからますます暑くなります、来月も元気にお会い致しましょう、お身体大切にお過ごし下さい。
なんでもそうですが使い慣れないというのは不自由なものです。この書込で苦しんでおります、リハビリだと思っております。この年齢になりますと知らず知らず過信というものが出るようです、何でも思いのままになると。
パソコンが壊れたのもそうは行かないぞと天の思し召しでしょうきっと、このように捉えております。「耳順」という歳を迎えていながら、耳に逆らうことを受け入れられないようではまだまだ未熟なのでしょう。
学ぶことには限りはありません、このように考えは持ってはいるのですが、実際には身にも意識にもついていない。現実に事件が起きてうろたえる、人間らしいといえばそうなのですが、未熟さを感じずにはおれません。
機械でさえ使いにくいのですから、人様とのお付き合いはもっとしっかりと礼節を保って対人関係を行わなければとしみじみと感じております。無礼で横着な態度をとって喧嘩別れをしてしまうからです。
人の情ほどありがたいものはありません。情を感じれば感じるほど人様との距離が縮まってきます、時に横着にならないことだとこの度の体験で反省をしております。
言葉が雑になり、応対、対応が横着になる、そして対人関係を壊す、「わかってくれる」という甘えの情、学ぶことは「まねぶこと」であり、それは「意識と行動」を学ぶことだと言うことです。
今日、明日と研修生が入ってきます、土曜日まで続きますので気合いを入れ直してお話しをさせていただきます。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。         合掌