察する

おはようございます。

昨日は東京を出るときにはもう雨、一日中降っておりました。大型台風で九州地区からの受験者の一分の方がくることができませんでした。これまで精進されさぞ残念だったことでしょう、お察し申し上げます。
各地での被害、お見舞い申し上げます。これ以上被害のでないことを祈ります。
他の多数の方は試験に真剣に取り組まれております、物事にまっすぐ取り組む姿勢は美しいですね、感動します。
今日は後事を誠澄に託し山形に一番の飛行機ででかけます。ふるさと山形、ふるさとは遠きにありて思うもの、まさに実感、年を重ねるごとに思います。飛行機が飛ぶか心配ですが出かけます。
今日は法事、明日は小学校の同級生が主催している会でのお話、少々気恥ずかしいのですが、乗りかかった船、転覆しないようにしたいと思っております。
難破したら皆さんSOSを発信します救助船を出してください、お願いします。昨日も書きましたが失敗か成功か、どちらかですので精一杯やるだけです。
後は楽しく宴会、これが一番のメーンでしょうやはり、時空を超え一瞬の中に子供時代に戻るのが嬉しい、立場も肩書きもない、子供です。
無邪気、いいですね、童心いつまでも失いたくない心、しかしいつしか打算が無意識のうちに占めてしまう、なぜでしょう。
何事にもお金は必要です、そう何事にもです。日々の生活、子育て、会社の経営すべてにおいて善なることに必要なこと、しかし愛情に必要だから、経営に必要だから、政治に必要だからと言って「何でもありでは困ります」。
今日の日本社会でいつから「思いやりや察するという気持ちを忘れた」のでしょう。あまりにも現実を見ていない、親や社会を見ずに現の世界に生きているように思えるのは私一人でしょうか。
私は懐古主義者ではありません、しかし「忘れてはならないもの」はあるのです。「衣食足りて礼節を知る」が文明社会です。
この礼節が無くなったのが多くの問題を引き起こす原因ではないでしょうか、偏った軍国主義の結果すべてが悪いと烙印を押してしまった。軍国主義は無くなりましたが、集団教育体系が軍国主義そのままであるというのがその大本のような気がしております。
集団教育を為し「礼儀を教えなかった」のが原因ではないでしょうか、個々の才能を引き出すためには結果を同じように求めてはいけないのです。
礼節というのは良い意味での「区別、尊重の思い」だからです。「目の前の人を敬う」というのが礼儀、礼節なのです、ここを間違えてしまった。点数で人格を決めてしまった。人の成長には時間的格差があるのです。
礼儀を求めるのは「軍国主義だ」と言わんばかりにです。「長幼の序」を教えるのは体制主義だと言わんばかりに。
多勢に無勢、社会風潮というものは非常に恐い物です、ウイルスのように知らない間にあっという間にいつしか感染し犯されてしまう。
親は子を思い、子は親を慕う、これは自然の姿です、自然の姿から「思いやり、察する気持ちが養われる」のです。
そこから邪気のない親子関係で一家を支え合うという「思いやり、察する心が生まれる」のだと思っているのは私一人なのでしょうか。
家が貧しかった時代を過ごしたことがふるさとに帰り思い出されます、貧乏を恨んだことはありましたが親を恨んだことは無かったようにも思うからです。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌