情熱を失わない

おはようございます。

台風で飛行機の欠航を心配していたのですがお陰さまで旅立つことができました。今朝は実家ではなく法要が終わってからのお供養をいただいたホテルにそのまま宿泊し兄弟での会食を楽しんだまま休み、朝の書き込みという次第です。
今夜も別のホテルに宿泊し明日帰る予定、帰れば研修が待っております。その前に今夜は同級生の前での話、お昼は山形のおいしいおそばを食べて英気を養います。
山形はおいしい物がたくさんあります、まぁふるさとの食べ物は皆さん同じ思いでしょう、これも年を重ねるごとに感じます。食べ物のおいしさは、食材そのものも大事ですが気持ち、思い、イメージがさらにおいしさを引き立たせると言うことでしょう。
懐かしさを感じるのは年をとったともいえますが、逆に若さを失っていないとも感じております。なぜそう思うかと言いますと、今までの来し方を誰でも反省はするのではないでしょうか、私も例外ではありません。
前のことを反省して「今度こそはと意を強くして思う」からです。なぜ「あの時このようにしなかったのだろう」と「大いに反省する」のです。その思いだけで「メラメラとやる気が燃え立つ」のです。この意識は以前よりも強くなったようにも感じております。
論語「述而第七」に「葉公(しょうこう)、孔子(こうし)を子路(しろ)に問(と)う。子路対(しろこた)えず。子曰く、女奚(なんじな)んぞ曰(い)わざる、其(そ)の人(ひと)と為(な)りや、憤(いきどお)りを発(はっ)して食(しょく)を忘(わす)れ、楽(たの)しんで以(もっ)て憂(うれ)いを忘(わす)れ、老(お)いの将(まさ)に至(いた)らんとするを知(し)らざるのみと。」
意は「楚の国の附庸である葉の君が、孔子の人物を子路に尋ねた。突然の質問でもあり、又おのが師に対する批評でもあったので、さすがの子路も答えかねた。後からその話を聞いた孔子は、子路に教えて言った、なんじは何故このように自分を説明してくれなかったのか。孔子という人物は、道を求めて未だ得ない場合には、心を奮い起こし、それに熱中して食事をも忘れるほどである。又一度その道を得ると、よろこび楽しんで、そのために一切の心配事を忘れてしまう。このように念々刻々求道の心に燃えて、年波の寄るのにも気付かずにおる、ただそれだけであると、何故言ってはくれなかったかと。」
孔子は極めて謙遜の人で、ただその求道の熱意においては、深くみずから任じていたのです。而してその態度の中に、又おのずから人を教える道が存したのです。私もこうありたいと熱く願っています。
人様のお手本になるなどという事はできないにしろ、少なくとも教えを行う立場を与えられている一人として学ぶ姿勢には情熱を傾けたいと願うのです。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌