天を仰ぐ

おはようございます。

新潟中越沖地震から一週間たちましたが、今朝も雨です、3000人の方が避難生活、一日も早い復興を祈ります。
二日間一人でおりますとなかなか静かでいいものです。これもたまにだからいいのでしょう、やはり一人は寂しいものです。
昨晩午後7時前に誠澄たちは帰ってきました、安井さんは下山途中で膝を痛め難儀したようでした。一合目から登頂した大本氏一行は全員何事もなく下山、すごいことです。富士山は素晴らしいお天気だったそうです、皆さんの精進のたまものでしょう。
登山も大変ですが下山がこれまた大変なのです、ひたすら降りる、ただ降りる、足下は悪い、力も疲れで無くなる、力がなくなるために勝手に体が動き転ぶ、自分の体がままにならないといった案配、誰しも同じ思い、皆一苦労での下山。
人生も同じです、年を重ね経験を積み若い人たちを導くために下の人と同じようにするのは上に上がるより大変なことです、ままにならない、このような経験も大事です。
今日はお昼前に愛宕寺に入ります、明日は24日ですので愛宕寺の「月例幸福護摩祈願祭」午前10時からあります、どうぞご参拝ください。
私は夜となく昼となく天を仰ぎ見ます、そこに神様がいるように思えるからです。そして様々な姿をやはり見ることができるのです。天にあるというのではなく、風であったり、木々であったり、人であったり、小鳥のさえずりであったりということです。
なぜそのように思うかと言いますと、それは自然の様々な「気・光を受けて」私たちは気づいたり、輝いたりすると考えるのです。四季によっても私たちは輝きが違います、自然によって私たちの命は輝き存在しているのであり、それは「生かされている」という実感でもあるのです。
日々の祈りも多くの人を祈ることができるということが天と同じであるのです。天は万物を輝かせ、生命を与えてくださる、私の目の前の御仏も同じです。多くの力を与えてくれる、そして多くの人々に恩恵をくださる。
高くそして広い天を仰ぐたびにその心の偉大さに感謝するのです。
富士登山された皆さんも普段見えないものがきっと見えたことでしょう、お疲れ様でした、来年もどうぞ、もう嫌だという声が聞こえそうです?空耳ですかね。私は来年も見送り組でしょうか?。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌