心の貯蓄

おはようございます。

昨日愛宕寺に向かう前に不在者投票に行ってきました。29日は仕事今週はあわただしくしますので棄権してはならじと岡田共々投票してきた次第、大切な一票無駄にしないようにしましょう。
24日の今日は愛宕寺「月例幸福護摩祈願祭」午前10時からです是非お参りお祈りください。
先日「親不知、子不知」の話を書きました、親は子に代わって事をしてはあげられず、子は親に代わることができないと、どんなに愛情が深くてもです。しかし私たちには「祈り」があります。
代わることはできずとも互いの幸せは「祈る」ことができます。愛情があればあるほど祈りが大切なのです。現実生活の中で様々な困難に廻り合うことは避けられません、目標や夢を持てば必ず現実の困難が待っています。
時に「祈る」ことが大きな「力」となります。祈りと貯金とは別なものですが、譬えれば似たものがあります。どうしてかといいますと、祈りは「心の貯蓄」ゆとりとなるからです。
貯金をするのはなぜでしょう?「万が一の時に備えてのこと」です。入れば入っただけ使う人はおりません、それは自分や大切な家族の「未来を思う愛情から」です。
私たちの祈りも「未来を思うから」です。「幸せでありますように、家族が元気でありますように」と日々祈るので「心の貯蓄」です。
物心両面にわたって余裕がありませんといざというときには本当に困ってしまいます。「ゆとりがない」からです。もう行き詰まるしかありません、そうなると「借金をしてしまい」ます。
心も同じです、普段から祈ることをしませんと、困ったときには誰に助けを求めるのでしょう、「身近な人」です。身近な人に信頼感がなければ間違った世界へ入り込むという危険性もあります、そして周囲が困ってしまう。
そうなのです、普段から未来や将来に夢や希望を持ち互いに信じる気持ちが在れば、大切な人の言葉を信じ、助言も受け入れる自分ができるのです。ところが未来を信じない人は勉強したり、練習をしたり、修行をしたりといった「技術や心の蓄積に意味を感じない、人を信じない、大切な家族の言葉を信じない」のです。しかし困れば親に頼る、そしてみんな困る。
即物的恩恵を受けることしか考えられなくなるのです。
祈るという「心の貯蓄」がありませんので、辛抱もありません、即効性だけを望み、餌をあさるようにあちらこちらと「さまよう」のです、まるで「借金地獄の堂々巡り」の状態となるのです。
祈りを毎日続けておりますと、「心にゆとりと、信じる」心が「貯金のごとく養われていきます」からくじけても、困難に出会っても「信じて歩み」未来が開けることとなるのです。何事があっても困らないのです。
「お金の慎み、心の慎み」の双方は「祈りから生まれる」のです。
私たちは代わってあげられないからこそ「信じ合う祈りが家族の間で大切」なのです。家族は言葉を信じ、信じた道を歩むことが幸せに通じるのです、物心両面が豊かになるからです。
今日は平日ですからお時間のある方は率先して心の貯金をいたしましょう。愛情の証明でもあるのです。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌