迷わない在り方

おはようございます。

参院選挙も結果が出ました、一票を投じた私たちは責任を持って今後の政局に関心を持って参りましょう。
早いですね、もう今月も残すは明日一日、毎日皆さんにお読みいただき感謝いたしております。お会いする人の中で明快に過ごしておられる方があります、また先人の中にもたくさんあります、どんな方かといいますと「迷わない」人です。
何に迷っていないかといいますと「生き方」こう生きようとしっかりとしている。そこには「評価を待っていない」ということです。私が目指しているのも「迷い無き生き方」です。仏は仏の生き方に迷いがない。
迷うのはどうしても自分のやっていることに「認めてほしい」という欲望からでしょう。もちろん結果を求めることは大事です、その結果が問題です。
明快に生きている人は「利や立場、権力を求めていない」のです。何を求めているかと言えば「在り方」です。昨今の政治家が自己管理もできないのは求めるものが「在り方」ではないからであり、「欲望」だからです。
欲望は「眼を眩ます」のです。世のため人のためといっていながら「欲のため」に心と眼が眩んでしまっている。賞賛を得たい、位を得たいばかりで先が見えず、耳も聞こえなくなってしまう。
お金がないから地位がないから知識がないから何もできないのではないのです。条件が整わないとできないという考えが間違っているのです。
論語「学而第一」に「子夏(しか)曰く、賢(けん)を賢(けん)として色(いろ)に易(か)え、父母(ふぼ)に事(つか)えて能(よ)く其(そ)の力(ちから)を竭(つ)くし、君(きみ)に事(つか)えて能(よ)く其(そ)の身(み)を致(いた)し、朋友(ほうゆう)と交(まじ)わるに、言(い)いて信有(しんあ)らば、未(いま)だ学(まな)ばずと曰(い)うと雖(いえど)も、吾(わ)れは必(かなら)ず之(こ)れを学(まな)びたりと謂(い)わん。」こうあります。
意は「子夏言う、好色を好むことは人間自然の情であるが、その色を好む心にかえて、そうせずにはおれぬ自然の気持ちから賢徳ある人を賢徳ある人として好み親しむようにし、
父母に仕えては自分の力の限りを尽くし、君に仕えては事に臨んで己が一身を投げ出す、更に朋友と交わって、そのいう言葉に信実がある、このような実践躬行(じっせんきゅうこう)の出来た人があれば、たとい、その本人が自分はまだ学問をせぬ者であると謙遜し、或いは又、世間の人が彼はまだ学問のない者であると言っても、自分だけは必ず、この人はすでに学問をした人であると認めるであろう。」
孔子の弟子である子夏の言葉です。こうありたいですね、身近な世界に真摯に在れば自ずと歩む道が見えてくるのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。              合掌