基本からスタート

おはようございます。

台風を心配しながら新幹線に乗りましたがお陰さまで昨日夕方無事愛宕寺に入りました。10時から愛宕寺「盆、施餓鬼法要」を厳修します。朝から暑くなっておりますが是非お参りの上ご焼香ください。
終えれば宇治に帰り明日は心華寺での「月例祭並盆、施餓鬼法要」が午前10時からです。西へ東へと皆様のお手伝いができてありがたいことです。
体力は落ちていますが気力だけはまだまだと思っておりますが?どうかな。しかし毎日の決めごとをやっている限り気力は衰えないとの独りよがりはあります、はてさてこれもどうかな?。
独りよがりとはいいましても「導かれている」という思いです。導かれたことに感謝した上での、よし「この道に従っていこう」というお導きと考えており私の行動の基本です。
人生は素直にまっすぐが良いと思っております。それは「頑なに」というのではなく、「片意地を張らず」どんな「状況にあっても忘れない」と言うことです。何事も頑なになれば「事は成就しない」からです。
自分に素直になれば必ずといって良いほど「衝突が起きる」からです。聖徳太子様もおっしゃっておられるように「我が是と為すところ、彼が否なり」です。衝突を避ける緩衝材が「頑なにならない」ということでもあるのです。自分の素直な気持ちは目標の達成にあるので、争いではないのです。
人はどうしても自分が一番に正しいのであって、それは間違いのないところです。しかし社会は一人で生きているわけではありません、沢山の人の力があってのことです。そこで時には自分にまっすぐになれない状況にも遭遇する、時の対処法が大事です。
その時には「この道を歩んでいれば必ずなる」位の「気楽さを持つ」ことです。そうすることによって余計な衝突を回避できる、譬えれば「車のハンドルのような遊び心」です。
文字の上での道理は直線的、また自分の感情が目標に直線的でも、自分の体を通して道理を体現しようとするときにはやはり「遊び心」が必要なのです。だから「頑なにならない事が大事」なのです。
せっかく自分に正直に目標を立てながら敗れる人の多くは「頑なになる」からです。自分に正直というのは「明朗」に「朗らかに」そして「春風のような」心持ちになることも必要なのです。明朗でなければ人様には見えず、争いだけが見えてくるという逆の結果を招いてしまうのです。
誰も寒風のような人間と付き合いたいなどと思う人はいないのです。暖かく、そして優しく明朗な人と接したいものなのです。
私は良い意味で遠回りをして「道草を食う」人生を歩んでおります、でも楽しい。それは「歩む道を導いてもらっているという確信」があってのことで、般若湯もいただき、ゴルフの縁もいただき、時にはきれいなお姉さんのところに行って遊びもする。それは何も率先してやったことは何一つとしてない(?)と考えております(誘うときはあるかな?)。
それは時に必要と心底感じたからであって、自分の目標とすることから遠ざかったという気持ちになったことはありません。
それもこれも「基本を毎日行ってスタート」という教えを受けたからです。時には前日般若湯をいただきすぎで辛いときもありますが、このまま寝ていたいという気持ちが起きて、弟子・誠澄の気持ちがよくわかるというオマケもつくのです。頑なにならないことは大事なのです。
しっかりとお勤めをします、この時は全身全霊お坊さんですので。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌