年齢の違いの中で

おはようございます。

お盆休みに入り帰省ラッシュが始まっております、道中はくれぐれも無理をしないよう気をつけて楽しんでください。
毎日暑いことです、その暑さの中お寺では昨日のお昼からは子供たちの熱気がプラスされ猛暑以上の暑さが心華寺では起きております。
30才前半から始めた夏休み期間中のこの合宿、始めた頃には疲れなどは感じることは無かったのですが、気力だけでは如何ともし難いものがあることをひしひしと感じております。そして一層「教えの大切さ」を実感しております。
5才の子供から大人まで総勢13名で「少年少女親子塾」を開始しました。社会は赤ちゃんからお年寄りの方までを含めて「社会」といいます。学びや生活はこの「幅広い年齢の中」で進められ、時代が代わっていくのです。
今日の学校制度は横並びで行われております、一年生は一年生同士でといった具合にです。以前の時代は年齢の縦割りで同じ部屋で同じ学びを年齢や個々人のすすみ具合で行うという方法が主でありました。
お寺で行っている合宿も縦割りで行っております、何事にも一長一短はありますが、同じ事を年齢の違った者同士で学ぶことの良さは、できている者ができていない者を導くという「時代を超えた協調性」にあります、また「人の在り方全体を観る」こともできる良さがあります。
すべてができる人はいないことはありませんが、滅多にそのような人はおりません。またすべてができないという人もおりません。
学ぶことの種類で出来不出来(得意不得意)があるということを年齢の違いから察する気持ちができることも良さの一つです。
同じ年齢同士で学びますとどうしてもこの出来不出来で落ち込んだり、嫌になったりと、助け導く人が出てこないと言うことが多くできてしまうのです。
縦割りでの学びの中で成長していきますと、これまでできていなかった人がある日できたという経験の中から、年齢の低い人やできていない人にその話をしてあげることができていくのです。これが「お互い様」の社会です。
人は頼られたり、頼ったりすることは人情として当然の意識なのではないでしょうか、年齢の低い人を導くことによってリーダーシップが養われたり、頼る中で帰属意識が養われたりと様々な「チームの形を学ぶ」こともできるのです。
社会とは赤ちゃんからお年寄りまでの広く大きな世界なのです。狭い世界で教育していきますと、同じような時間の経過でできていなければ落ち込んでしまいかねないのです。
誰しも人生は順風満帆とは行かないのです。若く純粋なときの社会への不信感は人に対しての不信感になりかねません。
自殺やノイローゼになる人がいっこうに減らないのは、良い意味での縦割りになっていないのではないでしょうか。
幼少時代からの縦割り、年齢の違いの中での学びが今の混迷社会、教育現場の一つの救いとなるのではないかと思っております。
共に学ぶ者がライバルでは寂しいことであり、帰属意識も育たず、リーダーシップも養われないでは行く末が案じられるのは私一人だけではないのではないでしょうか。
切磋琢磨という素晴らしい言葉の精神は人にやる気という刺激を受けてさらに研鑽するということであります。
やる気とは信頼、お互い様、導かれたり、導いたりする信頼の中で起きるのではないでしょうか、困ったときはお互い様という助け合いの心が無くなったのではこの世は闇でしょう。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌