苦しい中にも楽しいことが

おはようございます。

昨日秋葉原のホテルを出たら涼しく気持ちよく東京駅に向かいました。京都駅に降り立った途端暑さが体に巻き付き汗がジワ〜、日本は長い。誠澄が京都駅の近くの信者さんへお参りでしたので京都駅で待ち合わせて帰ってきました。
今日までお休みの方もあるのではないでしょうか、明日からはよ〜しと勢い込んでおられることでしょう、いかがですか。
意気込みはいいのだが続かないというのではどうしようもありません。続かない原因は何でありましょう、それは現在やっていることからの思いが「遊離、かけ離れて」いるからとも考えられます。また「今やっていることに楽しさを感じていない」とも思われます。
この二つが原因としてあげられます、人はどんな中にも楽しみはあるものです、どんなささやかなことでもいいのです、そのことを味わうことで楽しみは大きく広がってくるのです。
私もかつては比叡山という「場」で修行をしてきました。修行というのは「何かを得るため」でもありますが、一番大切なことは修行の中で「気づく」ことが第一義なのです。何かを得なければと考えますと視野も思考も狭くなってきます。得られなければ「落ち込むという弊害」が生じることとなるのです。
修行の中ですべてが気に入る、理解できる、体得できるなどということはあり得ません、仕事でも同じ事がいえます。しかしやることはやらなければならないのが修行であり、仕事です。
その中で苦しいことも楽しいこともあるのです。すべてが楽しく苦しいのではないのです。そこで「楽しいことを」広げていくことに意識を集中することで「継続力」が養われていくのです。
目新しいこと、何か特別なことに心を奪われずに楽しいことを継続していけばあるとき「発想がひらめき爆発」するのです。先人の歩んできた道や私の経験から「楽しむ」ことから継続と発想の爆発があるのです、盆休みの最後の休日ゆっくりリラックスして楽しみを探してみてください。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌