分を知る

おはようございます。

今日からまたお仕事、心機一転で取り組んでください。私も日々心機一転してお勤めも書き込みもしております。
「働くに追いつく貧乏無し」、このような語があります。働くとは文字通り「はたを楽にする、周りを楽にする、はたらく」で、そのことを思って働けば自分の「場は確立」されるのです。また楽しいことではないですか、親や、家族、身近な人の喜ぶ姿を見ることは。
私は自分の「分(ぶん)」ということを知っております。分というのは「能力」といってもいいでしょう。発想や人をリードすることはできないが「お手伝いはできる」と「分をわきまえて」おります。
ですから「場を失ったことが」なかった。
自分は競争しているつもりはありませんがこの世はやはり何でも「上手」はいるのもです。私より上手は後から後から出てきます、しかし「場を失わない」、そう「分をわきまえている」からです。
上手に下手は「譲ればいい」のです。そう考えて働いております(へつらうのではない)。しかし世の中はよくしたもので、分を知ると言うことは「正直」であるということです。正直は「信」につながっていくのです。
するとまた「場が増える」事となるからこの世はおもしろいのです。人より上手にできることに超したことはありませんが、それに心を奪われてしまいますと「心ここにあらず」で「できていることも失う」のです。
欲にもいろいろあります、私の欲は「はたらく」ということです、人様の「お役に立つ」、お役に立つことは悪いことや泥棒以外は何でも良いのです。あれこれと選ぶから「貧乏が追いついてしまう」のです。
「はたらく」ということからお陰さまでいろいろな「場」をいただきました、少しでもお役に立ちたいと考えて学ぶこともさせていただいております。
何よりも嬉しいのが「心の豊かさ」を学んだことです、はたらくということは仏の世界で言いますと「慈悲」です。どんなことであれ人様のお役に立てることが嬉しいという感じる心をいただけたことが一番の喜びでもあります。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌