実現していないからこそ

おはようございます。

今朝は昨晩からの強い雨が降っております、稲光も走り久しぶりの雨ですが被害が出なければと思っております。極らか極へと中庸というのは難しいようです、何か今日の世情のようでもあります。
このような雨の朝ですが皆さんは毎日何か楽しいことをイメージしていますか?いかがですか、私は毎朝行っております。
日々のお勤めが実は密教法、三密供養法で「観想(かんそう)」といいまして「イメージ・ビジュアル」しているのです。だから波瀾万丈な人生ではありますが楽しいことが沢山あるのです。三密とは仏様の「身・口・意」と一体になる行法なのです。
身は印を以て、口は真言を唱え、意は仏の心を以て一体となることを日々行じているのです。
人はどうしても過去のマイナスイメージに左右されます、それはそれなりに役立つのですが、それを良いイメージにするにはやはり日々の「イメージ」が無ければ良い方には展開しません。
古来から名をなした人、経営者、事を為した人の多くに「信心」があげられます。信心を継続するためのよりどころの一つが「経典読誦」です。その経典には「御利益」が説かれております。言ってみれば良い結果が書かれている、「気構え・心がけ・日々の在り方」が説かれている、その経典の読誦(どくじゅ)を日課としたのです。
楽しいと言うことは「実現したことばかりを言うのではありません」、「未来への思い」もあります。実現していないからこそ先ず「楽しい思い」が大事なのです。
「思いを確固たるもの」として行動する人と、漠然と何とかなるだろうと行動する人では自ずからその「表情、風貌」に違いが現れます。
原理原則の原理原則たるゆえんは「万境(ばんきょう)、どのような状況に於いても原理原則」なのです。原理原則は不変なのです。故にその原理原則を保っている私は「揺らがず、迷わない」のです。
思いは「法によって実現」されるからです、思いだけで法に依らなければ現実化されないのです。
迷って生きる者と迷わずに生きる者とどちらが幸せでしょう、それは明快に「迷わず」にです。結果でしか喜びを感じないのであれば「疲れる人生」としかならないのです。
この文明社会で多くの混迷する人が出ております、その皆さん方の心中はいかばかりか察することは叶いませんが、「イメージする楽しさ、ビジュアルする楽しさ」を心に保ち日々を過ごしていただければと願っております。
日々の読誦を行うことで私の目と心に「まっすぐな道」がいつも示されるのです。その道を確かな足取りで歩んでいるだけなのです。
いずれにしてもどのようなことであれ慣れない始めは苦痛を感じるものです、だからこそ「原理原則」に「心を寄せるべき」なのだと確信しております。
今日お昼から下関に向かいます、明日は愛宕寺での「月例祭」です、ご一緒に良いイメージを致しましょう。明日は地蔵盆ですので百万遍念仏の大数珠回しがあります、どうぞ百万遍の念仏をご一緒にお唱えして懺悔滅罪し、ご先祖様の菩提を願いましょう、午前10時からですお待ちいたしております。
また27日(月)は「にんげん学」小倉講座です、こちらも皆さんお声掛けをしてご参加ください。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌