味わい

おはようございます。

「にんげん学」大阪講座へご出席に皆さんありがとうございました。残暑厳しい中ご参加いただき感謝申し上げます。暑さ寒さも彼岸までと申します、お大事にして来月も又ご出席ください。
明晩は「にんげん学」一宮講座です、一宮地区の皆さん会場でお待ちいたしております。お友達を誘ってご参加ください。
二日続けて病院に行き一人でお昼を食べましたが料理はおいしいのでしょうが味がない、やはり一人で食べるのは「味がありません」。
「味」とは不思議ですね、食材の味は変わらないのでしょうが「雰囲気で」味が変わる。「口に未来の未」と書きよくぞ「字と」したものだと感心致します。
私も「味のある人柄、良い雰囲気を出す人柄」を目指したいものです、また「会いたい」と思ってもらえるような「人間味」です。
どうすればそれが叶うのかは判りませんが、一考すべき事です。しかしいい人だと人様に言われずとも「あの人はいい人柄だ」と感じる人は沢山おられます。
その方をお手本として「味のある人柄」を目指すきっかけとしてはおります。今、弟子・誠澄は五穀断ち、塩断ちを行じております、私も10年ほど行じましたが、その時に体感実感したことがあります。
塩断ちということはすなわち味付けを一切しないということでもあります。食材そのままの味をいただく、味わうということです。
最初は「まずい」の一言です。しかしそれを続けておりますと「食材そのものの味わいを味わう」ことで「おいしくなる」のです。いわゆる「自分好みの味ではない味そのもの」を味わうこととなり、「真のおいしさ」を味わうのです。
そこで一つの悟りと言っては何ですが、「我から人を見ない」ということが出来るようになったのです。
「あの人はいい人だ」という「いい人は」大概「自分にとっていい人で」あるのです。その人の信実を見ているのではないのです。
このように「自分の味で」世間の人を見ていることが多いことに気づいたのです。
どこででも、どのようなところでも、程度はありますが味わって物事や人に接していきたいものです。
せっかく沢山の現実と遭遇しているのですからしっかりと味わって偏ることのない人生としたいと一人食事をして己の未熟を感じた二日間でもありました。
味のある人生とするためにも我欲で人様を見ず、いい雰囲気を醸し出せるように在りたいものです。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌