考えを持つことは・・・

おはようございます。

今日は日曜日ですので皆さんお休みですね、ゆっくりお休みください。そしてリフレッシュして明日から新たな気持ちでお仕事にどうぞ。
お寺は休日というものがありませんので休むということがもう一つピンと来ない私です。まぁ私の場合は毎日休日のようなものですからピンと来ないのも当然なのかもです。
しかし自分の考え価値観を持つということは大事ですが、それを人様に押しつけるということはやはり考えものです。
思いやりを以て接することは大事ですが、考えを押しつけることは?ですね。思いやりと考えを押しつけるということを混同している方があります、気をつけなければいけません。
何か物を作ったり計算することでは誰がやっても同じ方式や工程を進めることで完成ですが、完成させるまでの意識、心の在り方、持ち方はやはり違っています。このことを自らが知りますと押しつけもありがたく受け入れられるのですが、その意識を持つまでは難しいことです。
そのためにもやはり仕事を脇においての「自己修養」ということは大事です。物事を正しく計る名人でもやはり方法によって名人になっていくのです。それは「定規」というものを使ってのことです。それを用いなければ長さや角度も測ることは不可能です。
音も正しいかどうかは音律というものがあるから正しさを知ることが出来るのです、書でも外のことでも同じ事がいえます。
では自分の意識や、心の在り方はどうかということです。これもやはり「方法」を用いて「正しく在る」ことができるのです。
それが「修養」なのです。では何に基づいて修養するのかということです。それが「にんげん学」でもあり、「祈りや座禅、はたまた写経」であります。
私たちの心は絶え間なく動いております、それは当然のことでもあります。動くことで感知し正しく反応して物事を処理できるのです。しかしただ反応しても定規や音律、方法というものを持たずしては正しくは対処出来ないのが道理です。
心を静かにし穏やかにし、物事を正しく反映するようにしなければ努力も労多くして功少なしとなります。
明鏡止水という語がありますが、動く心を静かにし「止め」物事を止観することで知識や技術を過つことなく用いることが出来るのです。
世間にこういう話があります、彼は頭がいいんだけど、技術は持っているのだが、だけどなぁ〜という会話です。
これは何を言っているのでしょう、「人間性」です。人様との対応や応対の「まずさ」です。
考えを持つことは大事ですが、それが人様に「押しつけと」映らないようにすることも大事なのです、それにはやはり人間性を養う「心の修養が」大事なのです。
明晩は「にんげん学」京都講座、ご一緒に学びましょう。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌