自然な行為

おはようございます。

今朝は虫の声が美しく響いております。仏様の声です。
新しい週の始まり、早いですね9月も三分の一を過ぎました、夜の明けるのが遅くなり日没が早くなったせいもあるのでしょう、毎日が早く過ぎるようにも感じます。
昨日は重陽節句でした、9という究極の陽の数が重なるので重陽、古人は洒落ていますよね、そうは思いませんか皆さん、物事の考え方が洒落ている。
この月にはもう一つ忘れてはならない行事があります。暑さ寒さも彼岸まで「秋季彼岸」です。
お中日、この日は太陽が真東から昇り真西に沈む、西方浄土にまっすぐに行くととらえられていたのです。時にご先祖様の菩提を祈り、自身の当世(未来)の安心をも祈る。
太陽が沈むということは終わりを告げることでもあります、そこで新しい始まりを祈るという行為は自然でもあるのです。
これを迷信と思いますか、科学的自然と思われますかいかがでしょう。私は極々自然な行為と採っております。
明日を夢見ない人は誰一人としていないはずです、そうしますと「祈り」は全く自然な行為でもあります。祈れない人は明日を信じていない人ともいえるかもしれません。
無心に祈りますといつしか心身が自然になり、行為そのものが自然に多くの人のために動けるようになり、活躍の「場」が与えられるのです。
このことは不思議でも何でもありません。超自然のことなのです。「祈る」という行為は、「自分の心身、生命は自然から授かったもの、お預かりしたもの」と「気づく」ことでもあります。
だからこそ「互恵(ごけい)」互いが互いに助け合って生きることが大切な事を実感し、自然慈悲の心で事に当たり、このようにあればいただいた生命も大いに生かされるのです。
日々の祈りと学び、自然を大切にして共存共栄を図ってまいりましょう、今夜は「にんげん学」京都講座、人倫の道を説いた孔子の思想をご一緒に学びましょう。
お待ちいたしております。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌