楽だけを考えたのでは・・・・

おはようございます。

「にんげん学」京都講座、ご出席の皆さんありがとうございました。来月もお会いできますこと楽しみに致しております。
今週の金曜日14日は「にんげん学」東京講座、東京の皆さん楽しみに出かけます、ご参加をお待ちしております。
昨日は涼しい一日でした、爽やかな秋風が吹き過ごしやすく気持ちよく過ごすことが出来ました、今朝もさわやかで祈りも気持ちよく出来そうです。
自然は常に動いてやみません、そこから手当てして私たちは過ごしております。私たち人間は自分の都合の良いようにと考えて苦しんでいるようです。未来を考えたり思ったりするのは人間だけです。そこでよくよく物事を見て考えていきませんと自縄自縛といいますか自分で自分を苦しめるような生き方をしかねません、用心すべきです。
木々や花々、動植物すべてですが、私たちと生きる条件や環境は違います。そこで「私たちの利に」なるようにするにはどうすればいいかということになるわけです。
私たちの生命、というよりもすべての生命は連鎖、つながっております。このことは誰でもわかっております。
すべてそのままにしておきますとどうなるかと言いますと、弱肉強食にもどります、これではどうしようもありません。だからこそ「手当、手入れ」が重要となるのです。
どんな美人でも顔も洗わなくては汚れる、汚れないためには「洗面」する、当然ですね。着物も着れば汚れる、ではどうするか「洗濯」です。かくのごとく「手当が必要」なのです。
人間も潜在能力はあってもそのまま放っておいたのでは「埋まったままの野人と化し」ます。人間が人間となるには「らしく」なければならないのです。
今まさに稲穂が実りかけております、種を蒔いてそのままにしていたらどうなるでしょうか、当然の如く稲として育ちますが、私たちの利とするためにはそのまま放っておいては「収穫もままならない」のです。
ではどうするか、そう、「手入れ、手当」です。草をとったり、水を入れたり、虫を除いたり、肥やしをやったりです。
こう考えてくるとわかってくることがあります、何がわかるのでしょう、「相手を思いやる心、慈悲」が無ければ私たちは「生きられない」ということです。
女性が美しくなるためにお顔を何十分もかけて手入れをするが如く、この世は手当、手入れをしなければ美しくもならず「利」にもならないのです。
利は「人を大事にする心」なのです、慈悲は「繁栄の元」でもあるのです。自分だけの利を考える人は破滅の道にまっしぐらに進んでいることを気づくべきです。
自分の楽を考えているようでは話にならないということです。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。       合掌