師友

おはようございます。

人のことは客観的に冷静に見ることが出来ます。こう考えますとやはり「師友(師と友)」の大事が見えてきます。
皆さんはどこか体が具合が悪くなればきっとお医者さんに診てもらいに行くはずです、いかがですか、
では人生ではいかがでしょう。
師を持っていますか、客観的に見てくれる友、切磋琢磨する友は、
いかがでしょう。
そうなんですよね、人生、「心は意外と」簡単に考えているのです、診断を仰がない。
地位や力を持っている人に限って「診断を拒む」、
なぜでしょう、それは「会話することで理解できていると安易に考えている」か「自分の力だと考えている」のかもしれません。
「話は理解できるのだが実践では出来ていない」ことと「客観的に指導を仰ぐ」ことを理解すべきなのです。
ここで「師と友」が必要になってくるのです。客観的に見てくれる人です。このことは生涯です。
一度病にかかったら二度とかからないのか、そうではありません、やはり病気はします、病気になったら又病院に通う、のです。
一度の失敗で絶望的にならないため「こころ」の問題、「生き方」の問題が「大事」なのです。
我見はどこまでいっても我見です、しかし自分が一番正しいことに違いありません、その一番正しい自分を本当に「正しくあるために」我を捨てることが大事なのです。
自分が正しいからこそ「師友」が必要なのです。
私たちは無限の可能性を具え誕生します、しかし天才は多くはありません、私たちは「学んで知識を得る」のです。
覚えたらどうなるのでしょう、「忘れるのです」、このことを「忘れてはならない」のです。
忘れるという状態は「無に帰する」のです、そう、出来ていなかった「状態に戻る」のです。
野菜を育てることを例に思いをはせてみましょう、土を耕し、種をまき肥料をやり、育てる、そして実らせ刈り入れる。
そしてまた土を耕す、という繰り返しです。
「繰り返しが人生」なのです。「無から有へ、有から無へ」です。
野菜を栽培するにも管理が必要です、大事な自分の人生も管理が大事なのです。それも「客観的に冷静に」です。
今夜は「にんげん学」東京講座です、大事な自身を真実大事にするためにも学びましょう。是非管理を心がけてください。会場でお待ちいたしております。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌