道徳教育

おはようございます。

今日は下関におります。午前10時から「彼岸会法要」があります、是非お参りください。心が和み安心の暮らしが実現します。
今日は彼岸の入り、暑さ寒さも彼岸までとは申しますが、今日も暑くなりそうです。お祈りをして心を涼やかにしましょう。
昨日新聞に小中学校での「道徳教科化見送り」という記事がありました、数値化が難しいという理由でした。
教育とは何でしょう?
教育とは「共育」という精神をはぐくみ、共にある人生、安心のある社会作りではないでしょうか。それが「数値評価できない」という理由で道徳教育をやめる。
思いやりは「評価は出来ない」のです。思いやりには「感謝で応える」のです。互いが互いを「支え合う・認め合う」ということが「道徳」なのです。
今日の社会の混乱は「何でも評価」で人を計る「功利的」であるということです。
人の存在は皆素晴らしく、支え合って在るのです。
教育の世界で「評価できないから」といって「心の在り方、思いやり」の教育をやめてしまうという愚挙、
政治家が「ゆとり、思いやり」といっても、虚しく響いてしまうのではないでしょうか、
世の中をよくするには「痛みを分け合う」ということを言う政治家の方もあります、
その痛みを分け合うことを理解する心を養うのが「道徳教育」です。
そのことを言いながら「評価できないから」という道徳教育をやめるという「思いやりのない」ことでは世の中真っ暗闇となるでしょう。
親が子を、子が親を殺す、イジメ問題等々は「道徳教育」をすることで歯止めがかかり、愚かな罪を犯すという人が減っていくのです。
犯罪のない社会、犯罪を起こさない社会の気風を育てることは大切なことです。
祈り、にんげん学はみなこの「共育」、共にという社会実現のための行動でもあるのです。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌