おはようございます。

今朝は少し涼しく感じましたが、お勤めをするとやはり汗が吹き出てきます、涼しくなるのはまだ先のようです。
愛宕寺の「月例幸福護摩祈願祭」の昨日ご参拝ありがとうございました。曇りで蒸し暑い一日でしたが、皆さんとのお参りは爽やかなものです。
日参り、月参りを忘れずにしましょう。
「参」、この参は参る、お参り、参加、参禅、参集等々のようにして用います。
この「参」という字は、行動すれば「結果がどうなるか」が分かっているときに用いる用法です。
「お参りすればどうなるか」、「参加すればどうなるか」、「参禅すればどうなるか」、「参集すればどうなるか」等々です。
道理は結果に「まっすぐ」です。まっすぐな結果が結果にならないのは道理ではなく昨日も書きましたが「未熟」だからです。
昨日樽床さんから「反るのは返るでは?」という質問がありました。物事を考える場合には「反る・反復」が肝要ですので、「反る」なのです。
そこで「参」なのです。
闇雲に道理もなく事を運んでも徒労に終わるのは火を見るよりも明らか、夢、目標を持っていればなおさら「道理に従うべき」です。
私たちの人生は素晴らしく楽しいもの、目標も、夢もあっての道草はこれまた楽しいものです、明日は「にんげん学」小倉講座、講座が終わってからの懇親会がまた楽しみ、喜びでもあります。
般若湯は実に美味しい、講座が終わっての最初の乾杯の泡般若の味は堪えられません(夢を持っていて良かった・・・と五臓六腑が叫ぶ)。
祈り、学びこの道を歩めば必ず目指す結果(参)があることを思えば、迷うことなどはなんともないのです。
そして上手くいかなかったり(道草)しても楽しい景色があり、友とも出会い、同士とも出会う、また人生に幅も出る、
そこから「新たな芽が出る」、楽しいばかりなのです。
「参」を知ることなく、「従う」ことを知らず、道理にそうことが窮屈だと考え、自分勝手に闇雲に歩んで「二進も三進もいかない窮屈さを味わう」、このような愚はよろしくない、楽しくなく、喜びもないのです。
明日の「にんげん学」小倉講座へ大切な方を是非お誘いの上、一見窮屈とは感じますが、真実を「知ることで」従う喜びを、参することで「真実の開放感」を体感し、何の迷いもない人生を歩んで参りましょう、お待ちいたしております。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌