繁栄の源、共存共栄

おはようございます。

昨日はずいぶんと秋らしい日でした、西国の巡礼も気持ちよくお参りできたのではと安心しています。今夕無事に帰ってくるでしょう、仏様のようになって。
心華寺、愛宕寺にも日参り、月参りの方が大勢来られます、ご苦労様です。
心華寺では「辯才天」、愛宕寺では「将軍地蔵」とそれぞれの寺での「拠り所、ご本尊様」をお祀りし、それに従い日々を過ごします。
辯才天様は巳の日が縁日で「学芸、金運、禄(地位)」を授けてくださいます。将軍地蔵様は24日が縁日「財、産業、子供の守護、抜苦(ばっく、苦を除いてくれる)」等を御利益として授けてくださいます。
「縁を忘れず」これを固く信じ、守ってきたからこそ今日があると私は信じております。
芸は「人を喜ばす」、お金は「すべての物に変わり、多くの人にゆとりを与える」、地位は「人の信を得られ、世の多くの人をリードする」。
財は「お金と同じで多くの人を救い、殖産を導く、どのような苦でも除く」等、辯才天様も将軍地蔵様も「誓願」をお持ちで私たちに「手をさしのべてください」ます。そして多くのご利益を与えてくださる。社会の安泰のためです。
そこで日々私は心華寺でも、愛宕寺でもお祈りしますときは、自身が辯才天様、将軍地蔵様の「誓願を実践しよう」との思い(イメージ)を強く祈るのです。
各ご本尊様の誓願は「社会の安泰」です。
御仏は「祈る者にその利益を」与えるのです。そのご利益、繁栄を得るからこそ多くの人が「信心もする」のです。その結果今日まで信仰が継続された(安泰があった)、
継続するということは継続によって「生活が成り立っている」という「証」であります。
いわゆる老舗といわれます企業は、この「拠り所、守るべきもの」を土台にしているのです。
故に継続していく。
欲しがる物が多くあっても「守る物、守られる物」を持たなければそこから「収穫は得られない」のです。
与えたい、授けたい、ご利益という心を別の表現をしますと「慈悲」ということです。慈悲とは「苦しみを除いて楽しみを与える」ということです。
この慈悲心で商売、経営、仕事をやっていくことで「繁栄は約束」されるのです。
殖産、とはなんでしょう、産業や、物を増やし社会を安定させることです。
まさしく「慈悲の世界」です。
野菜でも機械でも作ってくれ、活用してくれと物を言うでしょうか、言うはずもありません、しかし言わない物に私たちは種を蒔き、肥料をやり、育て工夫をするということを当たり前の如くにしています、何故でしょう、
「得られる、収穫できる」ことを知っている、また「多くの人のお役に立つ」ことを知っている、教えられたのです、
誰に、「先人」からです。それが「家訓・理念」なのです、
会社で理念を唱和したり、家訓の唱和をしたりするのは大切なことなのです。唱和をするときにダラダラとして何の意味があるの、と疑問を感じるようでは誰にも必要とされないのです。
慈悲、思いやる心から日々を行うことが繁栄の道に叶うことであるのです。だから日々私は感謝して祈るのです。
ところが自分のことしか考えない人は滅亡しかないのです。
それが自然の摂理でもあるのです。
信仰、あなたは「迷信と云えますか」いかがでしょう。人間はそれほど愚かではないのです。
祈るとは「確かなイメージを日々実践し感謝」することなのです。祈ることが出来ない人は大切な自分の人生にイメージがないといってもいいでしょう。
お金は大切なものです、その大切なお金を得る、必要とする「動機がそれ以上大切なのです」、社会のため、みんなのために必要と慈悲心で考えれば繁栄は間違いがないのです、宇宙の摂理は「共存共栄」だからです。
それがご利益、御仏の心なのです、我欲で一時の繁栄はあったとしても破滅と因果応報を見ればそれはよくおわかりのハズです。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌