別の世界を学ぶ

おはようございます。

昨夕西国巡礼一行は元気に帰ってきました、いいものです、無事に迎えるのは御仏に感謝です。次回も皆さんのご参加をお待ちいたしております。
今月の私の巡礼「にんげん学」講座巡りは明日の東京講座から始まりです、東京地区の皆さん待っていて下さい。
もう足かけ10年近くなります、白い小さなボールを打つことに夢中になっています、早い話がゴルフです。
練習をしないので上手くなるはずもないのですが、勝手なもので上手くはなりたいとは思っています(この勝手な思いは凡夫の極致)。私の場合は本番が練習、練習が本番(開き直りです)。
夢中になった一つは「学ぶこと」と一つは「教えてもらう」こと、それ以上に「マナーの大切さを教えてもらった」ことです、これがたまらない。
このことが人様に話すことの多い私には非常に刺激で、参考になっています。
人の成長、進化は「教えて教えられて教えて」ということの繰り返しです、人から人へ伝わる、社会の学びの構造、精神の継承です。
教える立場にあると、相手につっこみ、相手の欠点が見えますから適宜に指導が出来るかといえば、そうは簡単ではありません、相手は様々だからです、一様には行かない(会社も社会も多様性の集団です)。
論理は皆一様に理解できても理解度、到達度がそれぞれ違い、そのことがゴルフをやって一層心の奥から理解できるようになった感じがします。
何故このように思えるようになったかといえば、やはり、教えられた、突っ込まれたからです。
長く指導的立場にある私は修行中は別として、学ぶことはしていても、突っ込まれることが無くなっていたのです。
それが「突っ込まれる」とても快適な刺激であり、いつも新鮮。
突っ込まれるというのは何も私に直接言葉でというばかりではなく、一緒に回ったペアはほとんどが相手が上手なわけですから、私との差という現実が突っ込んでくるのです。
そこには言い訳も出来ず(結構タラレバ、ああだっタラ、こうであレバの言い訳もしているかな?)現実がスコアとして残る。
沢山の皆さんに指導をいただいて、話す立場に戻ったとき、今までに見えてこなかったことが見え、聞こえてくるような気がするのです、
その突っ込まれるお陰で世界も広がりました、先日研修に参加下された方にまたお誘いを受けたのです。
本業の学びも大切、ですが別の世界を学ぶことによって逆に自分の世界が見えてきたのが喜びでもあるのです。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌