知る

おはようございます。

連休の最終日はあいにくの雨模様、ゆっくりできたのではないですか?、今朝も降っております。お寺は休日がありませんから平常通り、365日淡々と過ごしています。
今夜は「にんげん学」京都講座です、淡々と過ごす中にも今日のように色々と予定は出来てきます。皆さんのご参加をお待ちいたしております。
だから楽しくもある。
昨日は「祈り、学ぶ」ことの大切さを書きました、学ぶとは「知る」ということでもあります。何を知るのでしょう?。
「道理」です。
道理を知るのです、道理とは人として大切な「生きること」です、昨日の話にも通じます。
皆さんは多くの知識をお持ちです、持っているのに「悩む、衝突する」、変な話でもあります。
多くの人の「知」は、物を作ったり、計算したりという仕事に通ずることが主です。これは当然のことだと思います。
ではなぜ生活の中(仕事場も含めて)で悩みが生じるのでしょう、知識があるのにもかかわらずです、何ででしょう?。
それは「出処進退」に問題があるのです。
このことを知るのが本当の「知」でもあるのです。
私たちには徳が備わっております、わかりやすくするために本能(持って生まれた能力、授かった能力)と考えて下さい。
この感覚器官があることを「知るべき」なのです。表現を変えれば「欲」です。欲を知ることが「知る」ことでもあるのです。
得たい、勝ちたい、欲しいという本能をいかにコントロールするか否かで将来は決まるといっても過言ではないのです。
この「徳は誰のために備わったのでしょう」、わたしのためです、ここが大事です。
人様に勝ちたい、人様より得たい、人様より多く欲しいということでは「争いしか生まれない」ことを知るべきです。
折角備わった能力、徳を大切にするためにも本来の「知る」ことが重要なのです。是非今夜もご一緒に学びましょう。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌