お相伴

おはようございます。

お祝いの席にお相伴することは嬉しいことです。楽しく心が豊かになる一日でした。
お相伴(しょうばん)、良い言葉ですね。「あなたがあって私がある」、という意味です。
大盛況のお祝いの席でした。余慶、昨日書きましたが感謝です。遠い熊本の人にお招きいただいた、考えても不思議としか言いようがありません。縁は不思議です。
だからこそ「お相伴」なのです。思議を超えた世界が現実。知識を得ることは出来ても計算通りには行かない、だからこそ「どうあるべきかの基本を持つ」ことが大事です。
人はどう動くかは思議の外、だからこそ「自分を見失ってはいけない、惑わされてはいけない」のです。
先日の未熟なボクシングの世界戦のようであってはなりません。いくら練習を行ってもこちらの思惑通りには事は運ばないのが現実です。
時に縦横無尽に対応するには無心、思議を捨てる、固定観念を捨てることです。思い通りにならなければせっかくの能力が「己を破壊し、人をも破壊する愚かな結果」となることは必定です。
先日からマスコミを賑わしている相撲の世界でも然りです。
そのような愚を犯さないために、あなたがあって私、このように思って人様と出会うことです。結果その時々において色々な「場(仕事)を与えられる機会(チャンス)」も得ることとなるのです。
私があってあなた、ではありません、「あなたがあって私です」。いつも申しますように「順序」。
お相伴という意識は「功利」でなく「徳利」。目の前の人の能力を称え喜ぶという気持ちです。
明日は「にんげん学」大阪講座、人生は知識、技術がいくらあっても「心がベース」。心の中に「あなたがあってこそ」という謙虚な気持ちがなければ誰もあなたを生かすことはないでしょう。
心の学びは年を重ねれば重ねるほど重要です。なぜならば人は上に立つ人を何人もの多くの目で見ているからです。
老舗の赤福がそれを教えております、お客様があっての店を忘れた結果です。
人は学ぶことを忘れますと「慢心という病に冒される」。
機械であれ、道具であれ使うのは人の意識、心です。
能力があってナゼ私がという疑問をお持ちの方は是非「にんげん学」を学んで下さい。明日の夕方大阪会場でお待ちいたしております。会場の場所はHPでごらんになって下さい。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌