お互いが覚悟

おはようございます。

昨日は電波が届かず書き込みが遅れ、「ままにならないことの気づきの大切さ」を改めて知った思いです。
お寺を離れ弟子に後事を託し出かけており、このようなときには任せてあるわけですから、どうすることもできません。
しかし帰って報告を受けて、自分の思いと違ったとき注意をしたり、叱ったりするときがあります。
時には感情的になり、留守をしてもらっている、ということを忘れてしまいます。
昨日の話と通じますが、言われた方は「そんなに心配だったら留守などしなければいい」という気持ちになりかねません。
注意をしたり、叱ったりしなければならないのはナゼかとも考えずに、結果だけを見て聞いて怒ってしまう。
思い通りにならない結果を招いたのは叱る方の「指導不足」がそうさせていることにも気づくべきだということを「ままにならない現実の中で」改めて気づきました。
このようにお互いが「ままにならない時もある事を知って」一層互いが注意し合い何事も進めていくことが信頼につながり、後事を託す方も、託される方も互いが互いの責任があるのだと言うことを自覚する。
託す方は、ままにならないこともある、という覚悟。託された方はしっかりと責任を果たそうとする普段にも増して意識を高く持って仕事に当たる。ということとなっていくものではないかと思いを巡らせました。
このことは普段の仕事でも同じでしょう、仕事は立場が違っても「任されている」わけですから、指示をする方も覚悟をし、指示された方も覚悟が必要なのです。
明日午前10時から愛宕寺の「月例幸福護摩祈願祭」是非お参り下さい。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌