外の刺激を受けて

おはようございます。

今朝から又普段の生活にもどります、という書き方も変ではありますが、ベース、基本、基準というものはあります。
旅をし帰りますとお世話になった人の思い出が蘇がえり、それが又余韻となり景色や楽しかったことが深く刻み込まれていきます。
旅に限らず日々の生活でも同じ事です。暮らしていく中でお世話になることの方が当然多いわけで、不満や不平を感じることは人生に新たな展開をもたらさないとも思っております。
考えてみればお世話をすることほど難しいことはありません、
難しいことですが、お世話をさせていただこうという気持ちがなければ気づきも無く、それこそ新たな展望は開かれず、感謝ということも分からないのではと思います。
ちょっとした気配りは人に気づかれないかもしれませんが、自分自身に大いなる気づきを与えるのは確かなことです。
それは「独り善がりをしないという気づき」です。
お世話をして皆が皆に喜んでいただくということはあり得ません、が喜んでいただこうと努力する心が「独り善がりを無くす」ことに通じていくのです。
私たちは事を成していくとき「良かれと思って」行動します、当然です。そこで必ず賛否が出ます、時に「皆に賛同、喜んでもらおう」という次の行動、アクションになれるかどうかが問題なのです。
「皆に」という意識をもてれば気づきとなり、持てなければ「不満」にしかならないことに気づくことです。いずれにしても日頃の「お世話になっている」という気持ちがなければならないでしょう。
お世話になっているのに、「仕事だから、あの人はこういうことをするのが好きだから、得意だから」といった具合に受け止めているようでは「新たな展開、気づきにはならない」のです。
私たちは外の刺激を受けて「内なる才能に火がつく」事を忘れてはならないということです。
人を知って己を知る、己を知って人を知る、大事なことです。「比べるのではなく知る」のです。

世界平和をお祈りいたしましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。        合掌