自分に羞じる

おはようございます。

11月、今月もよろしくお願いいたします。
一日しか違わないのに月が変わり改まる、これは毎日のことですが、やはりケジメは大事です。
よろしくお願いいたします。この言葉も言葉を発することも好きです。言葉は好きです、何故かと言いますと「心を表すことが出来る」からです。大事にしたいですね言葉。
人が成長するには「言葉に羞じる」という事が大事です。言葉に羞じることがなければ成長・進化は無いとも考えております。
羞じるのは「自分に対して羞じる」ことであり、人に羞じているようでは人を欺くようになるでしょう(人に分からなければいいと、昨今の経営者にも劣る経営者は皆この類です)。
もし本気で自分を豊かにしようと考えているのであれば「自分を欺かない」ことが大事です。
豊というのは物がある、お金があるというのとは違います。明るく為すべき事を成して暮らす、ということです。
人は身の丈にあった人生を送らないが故に破滅していきます。「身の丈に合う」とは、どのようなことういうのでしょう。
それは現在直面している仕事であれ、何であれ「天職だと考える」ことです。
最もふさわしいことをやっているのだと考え「喜んで仕事をし、暮らしていく」ことです。そうすることで何が起きてくるかといいますと、「工夫が生まれる」のです。
不満を持って仕事をやっても毎日やっていれば慣れてきます、慣れても喜んでやっていなければいくら不満を持っていても「工夫は生まれないのが道理で」す。
この違いが時を経て大きく「差となって現れる」のです。
嫌々不満を持って仕事する人は、嫌な仕事だと思っていても「慣れから離れられずに」、いつまでたっても堂々巡りをしていく人生を送るのです。
白隠禅師が書かれた「坐禅和讃」にこのような一節があります。
「六趣輪廻の因縁は己が愚痴の闇路なり、闇路に闇路を踏み添えていつか生死を離るべき」と。
不満を持ちながら何故豊かな人生と出来ないかは、目の前の仕事に不満と愚痴を言っているから悪い世界、闇路を堂々巡りをするのだ、と禅師は諭しているのです。
一方の天職だと考える人は喜んで仕事をしますから、工夫が生まれ、楽しく仕事をしていきますから、人は黙って観ているはずはないのです、
この仕事も、これもといった具合に「チャンスが到来」するのです。
よろしくお願いいたします、とは何をお願いするのでしょう、自分にとって都合のいい話というのは虫のいい話で、お願いするとは、あなたの「ためになりますよ」ということでもあり、よろしく「お引き回し下さい」という意味でもあるのです。
言葉を言葉通りに出来ないことを羞じるということも大事だということを知っていただければと願っています。
今月もよろしくお願いいたします。先日宇治へ帰ったばかりですが、お昼から東京です、明日第二回「武士道コンサート」へ出演するためです。

世界平和をお祈りいたしましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。       合掌