意乗る

おはようございます。

京都へ帰る車中から眺めた久しぶりの富士のお山、雪を載せて輝いておりました。一昨日の素晴らしい出会いを祝福しているようでした。
東京は曇っておりましたが東京を離れるに従って秋晴れの好天、宇治に着いたときにはまぶしいくらいの日差しでした。
今日は第一日曜ですので心華寺では午前10時から「月例幸福護摩祈願祭」、皆さんとのお祈りが楽しみです。私はいつも「幸福を信じております」だからこそいっぱいご利益がいただけるのだとも信じております。
「幸福」の「幸」とは「目の前に現れた素晴らしい出来事をラッキーと思うこと」です、そしてそれは「与えられた」という喜びです。
「福」とはその幸せと感じたことを「信じてまねぶ(学ぶ)、習う」ということです。「道に従う」ということです。
幸せと感じたことを素直にまねび、従うことで得られた結果を「幸福」というのです。だから「幸福護摩祈願」と名付けて護摩を修するのです。
私には迷いがありません、ひたすら従って祈るだけです。
祈るとは何だったのでしょう、「意乗る」です、そう「自分の心に正直に」ということです。
皆さんは自分の心を疑っておりませんか?いかがでしょう。自分で自分の心を疑っていては、人様はあなたを信じるはずがないのです。
自分の意、心に正直になって、辯財天様の教えに素直に従って祈る、これが祈りなのです。自分の気持ちを熱くして仕事に邁進する。
辯財天様の教え示されたことは何でしょう。「ほほえみ」、笑顔です。人は先ずその人の表情を見ます。表情に「気が凝縮されている」からです。「暖気(あたたかい気・思いやりの気)」があるかどうかは会った瞬間人は察します。
その次に「言葉」です。言葉は「優しさ」が大事です。優しさは優柔不断ではありません、人に対する優しさはどこからわき出てくるのでしょう。「ゆとり」です、心のゆとりからです。
信じていますと「心にゆとりがありますから人に優しくなれるのです」、何故でしょう、我利我利亡者にならないからです。
いわゆる自分だけの利を追わない、教え、道に従えば「幸福が来たることを確信」しているからです。損得を考えずに人様との接し方を大事にしているのです。
だから迷いも、不安も無く、安心して懸命に日々在ることができるのです。今日もご一緒に祈りましょう。ご来寺出来ない方は10時になりましたら手をお合わせ下さい。

世界平和をお祈りいたしましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。        合掌