おはようございます。

懺悔連行初日の昨日無事誠澄は帰ってきました。今朝は雨、昨夕からの雨が降り続いています。
日に日に肉体の疲労感が増し、半面精神の浄化が日に日に増します。
全てが安定していれば精神や技術が高められるかといえばそうではなく、不安定なればこそ安定に向かうという精神作用があります。
修業も同じ事がいえます。やる気であれ、何であれ、満足していれば行動とはならず。では不満があるからやる気が出るのかといえば、そうはならないのが道理です。
目標に向かえば向かうほど自身の不安定(知識、技術、精神力等々の足り無さ)さが見えてくるのです、見えて来るからこそ必死になって「求めることとなります」、それが「求道心」です。
そして「集中力」となり、精神の浄化となってくるのです。
昨日毎日書き込みをしてくださる、安井さんが一度「随喜を」とおっしゃっておられます、33キロの夜中の行がいかほど大変かを体験なされば、集中力が自然に行の中で育まれることを実感することでしょう。
目標に向かって辛さや不安は必ず生じるものです。そこで「やり通すことが無ければ」集中力とは成りません。皆さんの中で「集中力がないと嘆いておられる方」是非一度体験し、困難を「突き抜ける体験」をしてください。
そうすることで「不安定だからこそ結果を求める力が出るのだ」ということを「体感する」ことでしょう。
明日は「にんげん学」大阪講座です。学びも一緒で、理解できない、分からないということで「やめてはいけません」、何故でしょう。
一事が万事、「やり通すという自分が完成しない」からです。不安定なればこそ、難解だからこそ継続することで「安心、安定」が得られるのです。
多くの人が「今よりも、もっと上をという願い意識がありながらならない」のは皆、理解できないことは「向いていないのだ」して放棄する、余りにも淡泊な考えなのだということを体感してほしいと願っています。
私たちの修業は必ず「日限を切って」行います、例えば七日、二十一日、百日、千日、一生といった具合です。
いわゆるライフワークです。だらだらと際限なしに修業を行っているのではありません。またやらされているわけでもありません。行じているのです、自身が、そして得た結果の上に又積み重ねていくのです。
ある意味では悦んで健康的な不安定(求道心・探求心)の中で一生を送っているともいえるのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。        合掌