共通の話題

おはようございます。

今朝は朝のお護摩を修して後、片山津に向かいます。行く先は名門ゴルフコース「片山津ゴルフ倶楽部」、雨が降っておりますが、気持ちは快晴。
今日と明日のプレイ、スコアは別にして大いに楽しみます(内心はスコアは気になっています?やはり人並みの人間)。
昨日書きましたが、仕事以外の楽しみ、持ってみて初めてその大切さが理解できました。よく言われることですが、「共通の話題」、共にすることの楽しさは「地位、職業、年齢を超えます」、この現実が「世界を広げる」こととなります。
世界を広げるという打算では楽しくありません、これは共通の話題とはなり得ません。話題はやはりゴルフです、技術で比べれば必ず上手下手はつきものです。
しかし「自己を高める意識には」上手下手は関係ありません。お互いのレベルで技術を高めるからです。この「技術レベルの意識が重要」です。例えば上手になれない人がいるとします、何故なのでしょうか。
「レベルを認めない」という気持ちが強いのが一つです。別の表現をすれば「尊敬する意識がない」といっていいのかもしれません。
レベルを認めない人、尊敬心のない人に共通する思考が、毎日やっているから上手くなるのだ、前からやっているからだ、と人の努力を認めない理由が多いのです、参考にしない、共通の話題に入っていけない、これは仕事でも同じ傾向でしょう。
私たちは「レベルがあるから」一歩、一歩階段を上ることが可能なことを知るべきです。「レベルがあって良かった、上手い人と一緒に出来て良かったという感謝の意識です」。
レベルや、上手下手を認めたがらない人は余りにも「平等感が強すぎる」のです。人は一緒だ、平等だと、でも現実では違いが顕著に現れる。
顕著に現れた現実を肯定しない、人の努力を認めない、尊敬もせず、上手い人から学んで自分の努力としていかないのです。
レベルがあって良かったと私はゴルフをやって改めてそのありがたさに気づかされました。
僧としての世界も同じです、階段を一歩一歩上っていくことに変わりはありません。高い目標に向かって「高きに上るには低きより」です。
今日、明日と又沢山の気づきを得られることが楽しみです。そして共通の話題で今夜の温泉宿で般若湯の杯を交わすことも。
きっと人にも般若湯にも酔うことでしょう。般若湯では二日酔いにはなりませんが、会話した人との思い出がいっぱいとなり、人の喜びでの二日酔いはあるかも知れません。

世界平和をお祈りいたしましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。        合掌