何故

おはようございます。

昨日も寒い一日でした。月曜で週の始まり、厳しい寒さの出だし、いいすべりだしです。好事魔多し、ともいいます、出だしの好調なのも?考えものだからです。
私は出だしや、滑り出しが余り好調でないことが「いいことなのだ」と考えているからです(工夫の元と考える)。
出だしが悪い、事が上手くいかないといって嘆いている人をよく見受けますが、余り落ち込まない方が良いでしょう。
上手くいかないという人のお話をよくよく聞きますと、結構場当たり的で何の対策も方法も講じずに行っていることが多いのです。気分、気持ちだけ、やる気だけ、というような話です。
又自分の都合の良いように、自分の思惑通りに考えている節もあります。自分の話を聞いてくれないのは「相手が悪い」、「聞いてくれるのは当然だ」といったようにです。
このような思いをするのは「何事の情報も相手がくれることを忘れている、知らない」のです。自分の都合で話している、都合だけで物を言っていることが分かっていないのです。
だから誠意だと思って話していても「通じない」。
自分に対しての「何故がない」、何故そうならなかったか、何故話が決裂したのか、折角相手が情報をくれているにもかかわらず、「対策が出てこない」、何故でしょう。
それは簡単なことで「話を聞いていない」からです。相手が必要としていることに「耳を貸さない」からです。
言い換えれば「心がない」といっても良いかもしれません。どんな心でしょう、「相手を思いやる心」です。自分の気持ちだけを聞いて欲しい、分かって欲しいばかりなのです。
対人関係を作るには先ず「相手を受け入れる・自分の心を開く」ことからはじまるのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。        合掌