天地を畏敬す

おはようございます。

昨日は朝から冷たい雨がお昼過ぎまで降って寒風も強い一日、一昨日とは全く違った天候、ご本尊様と皆様に感謝を新たにしております。
いくら大切な「縁日」であるとはいいましても、天候に左右されるのが人でもあります。それほど「天の威光は強いもの」。だからこそ天地神仏は「畏敬し感謝」しなければなりません。
人の力の素晴らしいことは言うまでもありませんが、天地神仏を「敬う心がなければいけません」。
天地神仏への「畏敬する心がなければ」次第に「人を物として扱うような人間性を自ら造る」こととなるのです。
「自分の心でならざる事はない・自分が正しい・自分が決める」というような傲慢な人間性を自分で作っていくのです。
若いときはいざ知らず、人の上に立つ年令、立場に立ってこのようであってはなりません。
傲慢な人間性からは事に失敗したとき、失敗を「人のせい」にしてしまうこととなり、反省が無く、己を顧みることもないままに破滅に至のです。
教えたのにあいつはとか。指示したのに部下は何でやらなかったのだとか。全て悪いのは自分ではなく、人。
逆に天地神仏に畏敬の念で接し仰いでいる人は、たとえ事が失敗しても「天地神仏がまだまだと言って下さっている・気づかせて下さっている」と感謝の心で捉え、自らの行動を反省し、人のせいにせず、自らの非を感じ、「教えを疑わず」さらに精進を続けるのです。
その姿勢には周囲の人も自然温かさと厳しさを感じ、周囲の人も反省し又「学ぶことを知る」のです。
何事も「お陰」、先日の美味しい大根も天地神仏の恵みです。そこに大根を作って下された方、調理してくれたかた、信じて食べてくださった方の「それぞれの思いが凝縮し、味となるのです」、全ての方々のお陰なのです。
天地の恵みを皆で力を合わせさらに美味しくすることで社会が自身が皆が健康となるのです。
行事が終わり夕方に比叡山下山時当初からの信者さんが電話をくださいました。
「和尚さん良かったですね、沢山のお参りの方があって、岡田さんも立派に修業をなされ、
和尚さんが行を始めた頃には数人しかお参りが無く、行あけの苦しい和尚さんのお姿を見てかわいそうで涙がこぼれたのを思い出します、
これからもがんばってくださいねと、もう90才になろうとしているご婦人からのお電話でした。」
誠澄の姿を見て涙された方も大勢でした、人様の心の中にこそ仏様が住んでおられます、私はそう信じています「十方法界常住三宝(じっぽうほうかいじょうじゅうさんぽう)」と経文にあるとおりです。
2日の日に新たに又実感しました、御仏のお導きを畏敬・感謝するばかりです。
今夜は「にんげん学」大阪講座、「人間学」人と人の間には何が存在するのかを共に学びましょう、会場で行を終えた誠澄と共にお待ちいたしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。        合掌