誓いの懺悔

おはようございます。

今月は各行事全てに「納め」という言葉がつきます。先週は大根焚きでしたが本年納めの「月例幸福護摩祈願祭」でもありました。
今日は「水子供養」の納めの法要、毎月第2日曜、午前10時より厳修しております。不幸にしてこの世の光を見ず、誕生出来なかった「水子様の供養」です。
祟りというものはありませんが、やはり懺悔は必要です。自覚することが懺悔です。自覚がないと祟りではありませんがやはり不幸ごとは生じるからです。
人の心の素晴らしさに「憐憫(れんびん)の情」があります「憐れむ心」ですね。憐れまれることは良いことではありませんが、憐れむ心を失ってはなりません。
寂しい気持ち、哀しい気持ちがあればこそ「思いやりの心もわき出る」のです。この世に憐れみ、思いやる心が失われることほど恐ろしい世の中はありません。味も素っ気もない世となります。
「情けは人のためならず」とはよく言われますが、全くその通りで、情が深ければ深いほど気づきも豊かに、人の心にも理解が深まり、その心がやがては「どうすれば幸せがという様々な工夫となっていく」のです。
人は何かしら過つものです。時に傷つき落ち込みます当然でありましょう。そのようなときにはやはり救われるのが「人様の心、優しい言葉です」。そして時間が経てば救われていきます。
失敗したり、過ちを犯したりしたときは誰しもが孤独感に苛まれます。やはり救われるのは人様の愛情、憐憫の情からです。
人の優しさに触れて感じない人はいないでありましょう。もし人の愛情に感じることなく、甘えてしまうような人生では、次第次第に人は離れ、全てを失うような末路が待っているだけです。
ご先祖様、水子様に感謝の思いを新たにして日々読経するのはこのような思いがあるのです。
この世の光を見ずにした水子様があったればこそ今日があるという感謝の思い自覚した懺悔です。後悔ではなく、「繰り返してはならない過ち」があったればこその「誓い」の懺悔です。
声もなく、催促もないご先祖様、水子様へ率先した懺悔、自覚の思いで供養されておられる皆様がその後繁栄されていく現実の姿を目の当たりにしていますと、懺悔と感謝が如何に大切なものかが日々理解が深まるのです。
今日もご先祖様、水子様への懺悔と感謝の思いを深くしお祈りをします。

世界平和をお祈りいたしましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。        合掌