ゆるぎなく

おはようございます。

今夜は「にんげん学」京都講座、本年最終講座率先してご参加下さい、会場でお待ちいたしております。先月の悪夢を払拭して臨みます。
今は笑ってお話しできますが、皆さんには大変ご迷惑をおかけしました。元気に参りますのでご安心下さい。
授かった命、「知命」命を知る、天命を知ることの大切さが身にしみた一ヶ月でした。
両親を縁として天から授かった命、精一杯目の前の使命を果たすべく惜しむことなく活動しなければと改めて誓っております。
まぁあまり肩に力を入れず、思い詰めないでリラックスして邁進します。八幡浜から修業に来た青年は今日帰っていきます。会うは別れの初めとはいえやはり何度経験しても寂しさはあります。
別れがあるからこそ大切にしたい、出会いには全て別れが待っています。ちょっとした出会い、長い出会い、様々ですが別れはつきもの、だからこそどんな出会いも「ゆるぎない」心が大事。
「ゆるぎない」とはどのようなことを云うのでしょう。私は「相手の気持ちを大事にする」ことです。「相手を尊重する、気をそらさない」ということ。
誰にでも云えますが、「自分の中にある能力を生かす」ことで全ての展開があります。ですから出会って「相手を生かす」ことを「ゆるぎない」こととして対しています。
故に「相手の持っている能力を活用するこの一点」を大事にすることで「縁を切らない鍵」長くお付き合いが出来ると考えているのです。
そのことで互いの使命を果たすことができ、自分に与えられた天命を大事にすることとなると信じています。
また生かすことは「受け入れる」ということでもあります、このことを「ゆるぎないもの」として歩んできました。受け入れるとは「好きになる」ということでもあります。
「好かれたい」とは誰しも思うところです、私も例外に漏れません。「好かれたい」の逆は「嫌われたくない」です。
そこで「好きになる」ということを「ゆるぎないもの」としようとして出会うのです。
「心は才能」命です。好かれたい、嫌われたくない、これも心。この命、心を大事にした結果「多くの人との出会いがあった」と確信しています。そして多くの出会いから「多くの導きを得た」のです。
人様に好かれるかどうかは分かりませんが、「好きになることは出来る」のです。もちろん相手に好かれるか否かは別です。しかし「好きになることは出来る」。
今日まで「好きになる心を揺らがせず」あります。今夜も大好きな皆さんと会えますので心弾ませてでかけます、倒れませんので安心してお出かけ下さい。

世界平和をお祈りいたしましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。        合掌