いつでも一期一会

おはようございます。

昨日は研修生を見送ることは出来ませんでしたが、元気に笑顔で帰られましたとの報告を誠澄から受けました。本年最終の研修を無事終えることができたことに感謝しております。
「一期一会(いちごいちえ)」。毎日一緒に生活していても、仕事を一緒にしていても、初めてお会いする方も「一期一会」です。
大げさなことではなく、一瞬が一生です。出会いは考えても理屈では計れません、「出会ったのです」、この事実を大事にし感謝すべきです。一瞬の人も、一日の出会いの人も、長くお付き合いいただいている方も大切にしませんと、全てを無にしてしまうからです。
一つの出会いがダメになりますと、自信を失います。結果長くお付き合いいただいている方も失うということがあるのです。それほど日々私たちは大事な出会いを繰り返しているのです。
出会いの内容にいろいろあってこそ人生、人間性が「積み上げられ磨かれていく」のです。
獲物をあさるような出会いであっては良い出会いなどは到底望むべくもないのです。
慣れ、惰性、決め込み、この意識の堕落が礼儀を失し、行儀を悪くし、言葉も雑になり、相手の心を傷つけてしまう、このような事態を引き起こしてはなりません。
私たちは毎日新しい方に出会うということはなくとも、一週間に一度、数日に一度というように新しい方との出会いがあると思われます。
そのようなときにはやはり丁寧に、礼儀正しく、笑顔でお会いするはずです。尊敬語とは言いませんが、丁寧語は常に身に付けておくということは大事です。
職業柄私は言葉には十二分とは言えませんが、気をつけています。丁寧語を何度出会った方であっても用いるということです。
言うまでもなく私は僧侶です、ですから年令にかかわらず丁寧語を以てご挨拶下さいます。時に偉そうにお話ししますと心を開いてくださらず、相談も話もあったものではないのです。
お付き合いが進めば進むほどこのことは重要です。それは慣れから来る失言が出る恐れがあるからです。「初心忘るべからず」は何事にも大事な言葉。出会いの世界では最も大切だと考えます。
たった一度の言葉の行き違いで数年、数十年長く続いたお付き合いがダメになった、などという話は無くなりません。それは惰性、意識の欠落から行儀が悪くなり、言葉が雑になってのことです。
礼儀と笑顔、そして丁寧語、このことは充分に心身共にしみこませなければならないでしょう。
親しくなり仲良くなって別れる。「にんげん学」でも講義の中にありました、中国古代の斉という国に「晏嬰(あんえい)」という名宰相がありました。
この方は「久敬(久しくして敬す)・長く付き合えば付き合うほど尊敬された」ということです。このようにありたいですね。
このようにあれば仕事も人生も安泰することは間違いがないでしょう。晏嬰が宰相の時代の斉の国は大変に栄えたそうです。
いつでも一期一会、この心で年末のご挨拶、締めくくりをしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。        合掌