自分の事

おはようございます。

誰しも働かなければ食べてはいけないことは百も承知、承知していながら不平や不満が生じる、おかしな事でもある。
でもこれはおかしなことではなく当たり前の心理、情で不思議でも何でもない。
不平や不満は言ってみれば向上心だからである。向上心の無い者は一人もいない、向上心と気づくか否かが人生の分かれ道といるかも知れない。
もし不平や不満を感じないとすればそれは達人であろう。そこで大事なのは自分で感じた不平や不満を解消する工夫のきっかけととるか否かである。何とかしたいという意識、何とかしなければという意識。
一年を暮らし様々な問題点が実際感じられたことでしょう、問題が無いとすればそれこそ大問題で、将来に見込みは無い、大物と天才は別。
生活している身近な中で何とか出来ないことは一つもありません。
問題を問題と感じ、解決の行動がないとすればそれは自分の心が外に惑わされているのです。自分が感じた問題は自分が生じたものだという自覚。問題は全て自分に起因するという自覚が大事。
当然自分が引き起こした問題でないものもあります、でも自分が引き起こしたと考えるべきなのです。
この考えが将来求心力になるからです。我が事として捉えることが無ければ求心力、魅力となる人間性は養われないのです。
ほとんどの人が自分で作った会社で働いている人は少ないことと思われます。しかし夢を持って入った、自分の夢の実現、もしくは良い収入を得るため。ホンネの話、多くの人は会社のためなどとは思いもよらなかったはずです。問われれば会社のためと応えたはずです。
かくいう私も比叡山に入ったときは自分のことしか考えなかった、だから悩んだ、何でこんな事をと、ほとんどが疑問、問題(不平と不満)ばかり。
こんな事ばかり考えていたのでは自分が不幸でイヤになります。そして自分のこととして考えた、率先して不満、疑問に無心に取り組んだ、これだけです。不平や不満の種の多くは、何で自分だけが、何で押しつけられるんだ、何でこんな仕事等々です。それは複雑な内面はあるでしょう、でも多くは「何で自分がから始まるのです」。
それをやめた、自分の人生。
人間は不平、不満を人前で言うことは勇気でも何でもありません、それを勇気であると勘違いしてはならず、ただ単に敵を作ることしかならないのです。不平や不満を言うことは体制非難。
勇気とは事を行うことが勇気であって、これは道理を知らずに行えることではありません、不平や不満を感じたからと言って闇雲に言い立ててもそれは虚しく、蛮勇とも言える行為、厳に戒めなければなりません。
人生面白いもので、以心伝心、類は類を以て集まる、意識を変えてやれば周囲に不満や不平を言う人が少なくなり、今現在在る中から夢を実現しようとする仲間が出来るのです。そして自然問題を解決する工夫が生まれるから面白いものです。
自分のこととして考える、大事なことでしょう、自分のこととして考えない人が増えたから社長と言われる立場の人間も、偽り、奈落の底に落ちる。
今夜は「にんげん学」小倉講座、働くことは未来永劫続きます、不平を言う子孫を作っていくか、率先して人生を歩んでいく子孫を作るか私たちの人生に対する姿勢にかかっています、誰も私に期待はしていないでしょうが、誇りを持って生きていく私でありたいと思います。
今日最終講座だけど何人来るかな〜(ホンネで心配、まだ未熟です、まだまだ誇り高くはあれそうもない)。

世界平和をお祈りいたしましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。        合掌