礼儀(言葉遣い)

おはようございます。

昨日も三が日同様良いお天気で穏やかな仕事始めの日でした。仕事始めいかがでしたか、明るく爽やかに、親しき仲にも礼儀ありという具合にスタートできましたでしょうか。
夢や希望を持っていながら「一皮むけない人」がいます、多くが「礼儀の無さ」からです。何故礼儀が無くなるかと観てみますと、「自分が楽しくなければという気持ち、付き合いやすい人としか付き合わない、いわゆる学べない」、それと「言葉を正しく使っていない」からです。
言葉を自分の解釈で正しいと思って使っている、だからどんな縁があっても「良縁に出来ない」、そして現実に思ったようにならずストレスとしている、だから一皮むけない。
学校の先生が生徒に物事を理解してもらおうと優しく生徒に接します、最初は生徒も緊張感がありますからまあまぁ言うことを聞きます、しかし次第次第にその優しさに慣れて、まるで友達か何かのような言葉遣い、態度になってくるのと似ています。大人でもこのような人がおります、上の人が優しく接してくれますとだんだんとケジメを無くす。
そこには緊張感も考えて話すこともなくなり、学ぶことも感じなくなるのです。
自分から礼儀を無くした人の結末は大凡似たり寄ったりです。どうなるかといえば、相手を非難し、批判して終わるのです。学ぶことがなかった、教えてくれなかった、役に立たなかった、仕事をくれなかった等々です。
「知るは人を知る」であって、言葉や態度に礼節を無くしたとき人は共に仕事をしようとは考えなくなるのです。もっと悪いのは部下の人や年下の人がこのような人を軽んじてしまうことにあるのです。
部下や年下の人が言うことを聞かないと悩んでいる人の多くの理由の一つは、上に立っている人が上の人に礼儀もなく、言葉遣いもぞんざいであるということに原因はあるのです。下の人たちや子供でも同じで「言ったことはしませんが、行っていることはする」のです。
この社会の中でほとんど同じような仕事をしているわけで、ではどこに違い、個性を発揮するかはやはり「礼節」です。
昨年の偽装問題で破滅に導いた企業、個人等はみなこの「礼節」を軽んじた結果なのです。礼儀は堅苦しいものではありません、堅苦しいと考えているとすればそれこそ学ぶ心を持ってはいないからです。
言葉遣い、礼儀には気をつけましょう、お互いに。

世界平和をお祈りいたしましょう。
Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。    合掌