相変わらずに

おはようございます。

新年も一週間経過しましたが「あけましておめでとうございます」の挨拶がまだまだそこここで聞こえます、新年の挨拶はいいですね、夢があって。
今日は愛宕寺での「年賀式」午後2時から信者さんと新年のご挨拶を交わします。今年も一年「相変わらずに」ご信心とお付き合いを、という次第です。
いつでもこのような思いでありたいものです。思いは自分のものですから出来るようなものですが、なかなかに難しいようです、なぜでしょうか?やはり現実に埋没してしまうからでしょう。
相変わらず、という言葉は好きな言葉の一つ、これは「誠意」でもあります。人の心とは変わりやすいもの、いや、「周囲の変化に敏感なもの」なのです。周囲の変化に「対応できるようになっているのが心」でもあるのです。
ここで問題なのが先日もお話しした「基軸・価値観」です。これを変えずに対応するのが「相変わらず」ということです。学び、修練等々自分の思いをゆらがせず、ぶれずに対応することで状況に応じた結果を導き出せるのです。
周囲の変化で自分を見失って惑わされるのは「変わらない価値観を持たない」からだということに気づくべきです。価値観を持っていれば「柔軟に対応できる」のです、失敗したら修正という柔軟な対応。
価値観を持たずにいますと「我が強く」なります。我と価値観は「似て非なるもの」でお間違いなく。我は「勝ちたい、負けたくない、風下の立ちたくない」等々で、「相手を認めない心が我」です。
柔軟な対応ということは「出会いから全てを自分のために活かす・取り入れる」ことです。「心が動く」とは感動することで、うぅ〜ん凄いと感じ入ること、素晴らしい感性でもあります。その感性を生かす、感じたことを自分のために取り入れることが自身を豊かにし、これまでに変わらずやって来たことが更に向上し、豊かになるのです。
備わっている感性はそれはそれは敏感なものです。敏感な感性を「活かすのか」、感性に「惑わされるのか」は感性を知る、言葉を知るということでもあります。
人生は常に先ず「己を知る」ことから始めなくてはなりません。なぜでしょうか?それは周囲を観るというのは「自分を通して観ているから」です。だから常に「己を知る」ことが大切なのです。
ところが自分を人と比較して己を知ったと勘違いして「落ち込む人がいる」のです。私もかつてはそうでした、今日では違います。大いに自分を知ることで楽しく生きています。
何故かといいますと自分を通して観ていき、その上で自分の夢を追いかけ少しずつ「プラス」していく楽しみを「知った」からです。
ですから「相変わらずの生活をして大いなる変化、進化を遂げている」のです。相変わらずの生活が如何に楽しいものかを是非夢を持って歩んでみて下さい。
桃栗三年柿八年、時間は要しますが確実に変わらない生活を続けますと花が咲き、実が実るのです、「自分を先ず自分が信じること」が大切です。
自分を信じれば人に優しくなれます、そこから又大きな輪が生まれるのです、そう楽しい連鎖があるのです。冬来たりなば春遠からじ、悩みは永遠に悩みではありません。不器用に歩みましょう、自信を持って。
今日は皆さんと笑顔でご挨拶をします、相変わらずに。

世界平和をお祈りいたしましょう。
Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。    合掌