知るとは実践すること

おはようございます。

今年も相変わらずよろしくお願いいたします、素晴らしい挨拶の言葉、昨日も平日にかかわらずご挨拶に来ていただきました。
新年にご挨拶にお出かけ下さる、嬉しいですね、「心の世界」である寺、頼りとして下さる皆様の心に私自身が教えられます。信じることは素晴らしいと。
利害関係を超えた世界、遠近にかかわらずお出かけ下さる、頭が下がります。今年も互いに支え合って精進して参りましょう、それだけで安心です。
毎月、毎日相変わらずお参りに来られる方が沢山あります。このように為されている方の共通は「いい表情」。不安がない、疑いがないのでしょう。安心して日々を過ごしておられる、一番の幸せ。ですからお付き合いされている方も同じような方ばかり一層「変わらないお付き合いが続く」そして繁栄がある。
知りたがって迷っている方をよく見かけます。言葉を知りたがっている、どんな言葉かと申しますと、「幸せになる言葉、繁栄する言葉」等々です。
このような方は「知って行動が」ありません。知ったときは喜びの顔をなさるのですが、いかんせん行動がありませんから数日経つと又気が散って不安になり表情が暗くなる、そして又言葉を知りたがる、という堂々巡りをする人です。
言葉を知る、「知る」ということは「行動する、実践する」ということです。ですから行動実践がなければ迷うだけです。そして「結果を出すには時間を要する」ということも知るべきです。
行動が出来ない理由は何かといいますと、「お金や物がなければ行動できないと思いこんでいる」もしくは「物やお金に追い込まれている」また「時間がないと考えている」。
ですから「真の言葉が入ってこない」、言葉の教えている方向性が見えてきません。昨日書きました「我」からしか考えられず、選択肢が「自分の都合になっている」のです。だから都合の良さそうな言葉を聞いたときには喜ぶのですが、現実の行動がありませんから又落ち込む、という繰り返しとなるのです。
ではどうするかということです。「知は己を知る、人を知る」ということをハッキリすべきです、いわゆる「自覚」、孫子も「己を知り敵を知れば百戦危うからず」と言っています。
己を知らずして世渡りは出来ません。私は学校と名のつくところでの成績は最下位しか採ったことがありません。これは隠しようのない事実です。
「天知る、地知る、我知る」です。知るとは自分を一番知ること。知っているからといって私のように世間に知らせる必要は全くありません、が自分はしっかりと自覚しておく必要はある。
物の本をひもときましたら「知るとは己を知ることだ」と書かれてありました、私は「得たりとばかり膝をぽぉ〜んと叩いたのです」。これで私は何の迷いもなく人生を歩んできたのです。
そうしましたら「知るとは己に誠意を尽くす」と又書いてあるではありませんか、「己に嘘をつかない」ということです。それが「知を致す」ことだ、「致すとは究める」ことだというのですから、全く以て愉快ではありませんか、これなら自分も人生を歩めると。
自分を自覚して徹底的に致す、究めることならば自分でも出来るということです。
自分を究めている道中で多くの皆さんと出会いました。そして自分にも人様にも「嘘をつかず」誠意を尽くしたのです。誠意を尽くしたかどうかは皆さんがお決めになることですから、誠意と感じていただけなかったら素直にやり直すだけです。
その事を知るきっかけが「祈り」だったのです、毎日、毎日自分に誠意を尽くし、そして人様に誠意を尽くす、これを信じているだけです。ですから疑いを持たず祈る人の表情、姿がきれいなのもうなずけるのです。
明日は今年初めての「にんげん学」講座、一宮講座から始まりです。各「にんげん学」講座の皮切り、どうぞ中部地区の皆さん沢山のご参加をお待ちいたしております。
自分を学びましょう、楽しい人生が待っています。

世界平和をお祈りいたしましょう。
Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。    合掌