一時は不本意でも

おはようございます。

月明かりに照らされて霜が光り冷たさを一層感じさせる今朝です。厳しい寒さですが昨日まではお勤めのとき手がかじかみませんので助かっていますが、さて今朝はどうでしょうか、風邪など引かないように暖かくして過ごしてください。
私たちは自然には素直に対応、順応します。寒ければ着る物を厚着し、暖かくなれば薄着にするが如く、日々の人間関係にもそう在りたいですね。昨日も書きましたが不満や不平を自然に対しては言っても始まらないのを知っているからです、同じように人様に対する気持ちも自然に対するように素直であれば問題は少なくなるのです。
私は職業柄多くの人と接しております。その中で自分を確かに持っていてその上で対人関係に素直に順応している人が大成しているようです。
自分を確かに持つということは「何を以て世に問うか」ということです。私であれば「仏法」です。いわゆるそれぞれの職業、ツールのことです。
これで生きていく=これで活かされる、ということです。私は一時運転手をやっていたことがあります、一時的なものでした。
その時は自分が活かされないからお花や線香を求めるために方便として一時的にやっていたに過ぎません、今では少なからず活かされるようになりましたから職業的にはやってはいません。
運転手をやったのも自然です、仏様にお供えするためにはお足が必要です、活かされないのですから、座して死ぬわけにはいきません、で行動したのです。
それも時間帯は夜中、夜は昼の余りと考えたからです。昼は自分が活かされるために磨き、そして待った(人様が訪ねてくださるのを)のです。
自分がどんなに自分を磨いても社会に役立つことがなければ人様が必要としてくれなければ活かしてくれません、道理です。どこにも文句の持って行きようがないのです。
ですから必要とされていないときには必要とされる運転手として自分を見失うことなくやったのです。
素直に現実を認め順応し対応したのです。自分を確かにしていれば一時は本意ではなくとも見失うことなく対応できるのです。
働くことは泥棒や悪いことや犯罪を犯すことでなければ尊いものです。夢、希望を確かにしながら人様から認められない時期はあるのです。時にしっかりと自分を失うことなく、他の仕事をしたとしても不満を思わずにやることが肝要です。なぜならば尊い自分の行動だからです。
自分を自分で卑下することほど自分を貶めることはないのです。どんな状況にあっても誇り高く順応し対応していきましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。
Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。    合掌