信仰

おはようございます。

今日は午前10時から愛宕寺の初権現、初月例幸福護摩祈願祭です。皆さんどうぞお参りください。
信仰はいいものです。私が今日在るのは一重に信仰のご利益です。東北山形を出て比叡山に入り、知識も体力もない私、小僧生活をし門前の小僧習わぬ経を読むをひたすら信じた十年間、心華寺、愛宕寺二つの寺で住職を務め、心華寺では研修を行い年間一万人を超す社員研修、愛宕寺でも沢山の信者さんの拠り所として存在感を示しております。
何故このようになれたのかといくら考えても信仰のお陰、ご利益としか思い浮かびません。信仰とは簡単明快なことで御仏の示されたことを一つ実践するだけです。
ただ拝むだけでももちろんご利益はあります。
ただ実践する幸せが信仰です。それ以上も以下もありません。信仰したからお金が、物が地位が得られると考えるのではなく、実践。
結果、お金も、物も、地位も授かっただけです。授かったお金や物や地位は授かったのですから、いわば「預かり物」です。我が物ではない。
だから教えを大切にすることと同じようにお金も、物も、地位も大切にするのです。それは後世に伝えるためです。
私が先人によって伝えていただいて今日があるように、私の物ではないのです、弟子に伝える。
教え、教えを表す言葉(お経)は真理です。真理は普遍です。普遍「誰にでも活かすことが出来ること」、だからこそ私にも「迷わず」実践し歩んでこられたのです。
気づいたら今日の私があった、というわけです。一人で始めた信仰、一人で学んだ信仰、でも一人ではなかった。真理を知りますと、実は普遍だから目に見ることの出来ない皆さんと一緒に歩んでいたのが魂の奥底から理解、実感できるのです。
一人でしたから物理的には寂しいときもありましたが信仰のお陰で孤独を感じることはありませんでした、これもご利益。御仏と、お陰様(目に見えない多くの皆さん)という多くの皆さんといつも一緒だと思えたからです。そして今は現実に多くの方と共に在る。
一心頂礼十方法界常住三宝(いっしんちょうらいじっぽうほうかいじょうじゅうさんぽう)。この言葉は仏様を拝むとき最初にお唱えする三礼(さんらい)という文です。仏・法・僧を三宝(さんぽう)、三つの宝といいます。
仏は真理、真理は目にすることは出来ません、森羅万象全てのこと。法は仏の説いた教え。僧はいわゆる僧侶(信仰するあらゆる人)、法を実践する人、この三つの宝を先ず口に出して唱え、全てを敬うことを誓うのです。
ですからありとあらゆる人が仏であり、法であり、僧であるという認識の元で接し生活するのです。
御仏は何人と接しても同じ心で接します、信仰者の私も教えを信奉していますからどなた様に接しても同じ心で接します。
この思いを持ちますと「全てが幸運だと思う」のです、禍いや困難に遭えばそれから学べる、どんなことでも幸運だと、目の前のことで様々な試練があったり、上手くいかなかったりしても第三者の方が見てくださっている、不思議なもので一見関係ないと思われる人が様々な機会を作ってくれるのです、それは「幸運だ」と思うから、御仏の教えだからと実感するのです。
このように単純明快な只一つのことを信仰して今日があります、だからこそ私のような愚鈍な者でも大きなご利益が得られたのです。
今日は初権現のご縁日、初月例幸福護摩祈願祭、午前10時からですのでお参りください。信仰してお仕事に邁進すればご利益は間違いありません。
なぜならば御仏は慈悲、人の苦を救えと教えているからです、相手様の為になる発想は信仰により限りなくわき出ます。また権現様は将軍地蔵尊、勝負には必ず力を与え勝ちを収めさせるご利益を与える約束をしています、御仏は約束を破りはしません。続けないのは自分自身です。
信仰して一番良かったのは喜怒哀楽に敏感になったこと、喜びは共に、怒りは自分のこととして、哀しみも自分のこととして、楽しみも分かち合い、そして喜び楽しみ共に人様のことでも自分のこととして感じられることです、少し格好良すぎですかね!。
しかしよくよく自分のことを考えてみると臆病で、弱虫で知識とて無かった私はいつもいつも人様に理解して欲しい欲しいの思いばかり、その思いが全てを理解してくださる御仏に出会うことが出来たのだと感謝です。
人生は苦楽半ばです、苦しいときも御仏を忘れずに、楽しいときも御仏への感謝を忘れずに在ればご利益が叶うことを実感する日々です。

世界平和をお祈りいたしましょう。
Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。    合掌