苦と楽は半々

おはようございます。

昨日は強い寒風が吹く寒い日でしたが皆さんと共に初権現、初月例幸福護摩祈願祭でお経をお唱えし普段よりも増して心は温かく楽しい1日、今日も寒い1日になりそうですが私は毎日を楽しく過ごしています。
今日一日何があるだろうと喜怒哀楽全てを楽しみに考えるからです。昨日は信仰の楽しさ、ご利益を書きました。皆さんは自分が幸運だと思っていますか、そして人生は楽しいとも、私は幸運だとも楽しいとも思っています。
最初からこのように思っていたわけではありません、この世なんて良いことなど何一つ無い、この世なんて無くなればいいとさえ思っていたいた時期がありました。
それが今は逆転してこの世は楽しい、幸運だと思っている。
体に痛みを数年前から感じるようになってからは一層楽しく幸運だと更に実感しています。
プラスイメージを持って、セルフイメージをよくして人生を歩めば素晴らしい人生となる、とはよく言われます、全くその通りです。
痛(苦)みは常にあるというわけではなく、楽な時もあります。いつも痛みに悩まされるというのではありません。今でも痛んだり楽になったりの繰り返しを続けています。
では楽しいことはずっ〜とあるのかと云えば、これも又ありません、苦楽相半ばです。
この繰り返しを続けていてある日「あっと気づいたのです」。
どちらに心、気持ちをとられているか、こだわっているか、ということです。いつも痛みを感じているわけではない、時々だ、という現実に気づいたのです、楽も同じ。
40数年前苦を感じたからこそ今の道を歩み、多くの楽しいことを得ることが出来たことを思い出したのです。
この道に入ったときと同じではないか!、ということです。一生懸命にやってきて何でこんな風になったと愚痴をこぼさないで、以前のように夢を目指す、楽しいイメージに向かって歩む、これだけだと、思い直したのです。
それからは痛みも楽しみ、痛みの中での楽しみを作るということを楽しくやっています(でも痛いときは痛〜いのです、痛みから解放されたときの開放感が又たまらない、私はサドかマゾか?果てさて)。病が治る直らないに心を奪われるのではなく、痛いからこそ楽しいことを目指す。
そんな風に思うようになった途端良い縁、仕事が以前よりも増えたのですから不思議です、これも信仰のご利益だと確信してます。
人様と比べれば何一つ優れたものの無い私が良縁に恵まれているのはいくら考えてもご利益しかない、考え方、価値観が大事ですね。
明日は「にんげん学」小倉講座、今年の初講座、論語の中には孔子の苦しみも多く書かれてあります、そんな中でも爽やかに人生を生ききった姿に感銘を受けます。
先人の中で成功を収めた人の多くは失敗を重ねまた失敗を重ねたからこそ立志伝が残されているのです、今日の名を成している企業の多くも失敗を重ねたからこそ今日があると云っても良いでしょう、また失敗をして立ち上がることの出来ないようでは信念が最初から無かったのです。
会場でお待ちしております、講座の後は講座より一段と楽しい懇親会があります、おまけです。オマケに誘われて漫画本を買ったことを思い出してください、オマケが楽しいことは当たり前なのです。
知識をいくら得ても「人間」を学ぶことがなければ成功はおぼつかないのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。
Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。    合掌