問題点=希望

おはようございます。

一年のスタート月ご愛読ありがとうございました。多くの皆さんにお読みいただき感謝いたします。
一月は行くと申します本当にあっという間でした。あっという間でしたがこの月も充実したものとなり感動しております。
何か格別良いことがあったのかといえばそうではなく、相変わらずの生活のお陰で問題点が新たに見えてきたと云うことが嬉しいのです。
行動を起こし結果が良くないと落ち込む、悲観する方が多くあります、もちろん私も例外ではありませんが、嬉しいのです。
何故嬉しいのかといいますと昨日の向上心につながりますが、「修正部分が分かる」からです。問題点が判りますと「希望となる」から嬉しい。「直せばよい」という「明快な答え」が示されたからです。これで喜ばないわけにはいかないでしょう。
ところが悲観する方がいる、自信を無くす人がいます。悲観する、自信を無くす、何故そうなるのでしょう、答え「慢心」です。
事は自信を持って当たることは大変結構なことです、またそうでなければいけません、私も自信を持って当たっています。
しかし間違うときはある、失敗するときもある、問題が生じるときもあるのです。何故でしょう、それはハッキリしています。
「相手が違う」「状況が違う」「条件が違う」等々、同じ相手、同じ状況、同じ条件などはあり得ません。その都度その都度実践から学ぶしかないのです。この真理を「頭(知識)ではなく体で理解していないと」落ち込む、悲観するということになるのです。
知識は大切ですが、その知識を実践の場で「体に落とし込む、すり込む」ことで「実力となる」のです。「失敗から学ぶ意識がないと成長は無い」といってもいいのです。
自分の頭の中の知識は常に整合性があります。理屈が合っているのです、でも失敗する、現実で失敗をしていながら「認めない」では「同じ失敗を繰り返すだけ」です。
自分の理屈が現実に合っていないにもかかわらず「失敗から学ぶ修正する意識がない」からです。意識がないということは向上心がないといっても過言ではないでしょう。
人生は問題点が判ったとき「感謝」ができ、「行動の中で修正できるか否か」で大きく違ったものとなり「実力」となるのです。
いくら頭で仕事をしようとしても成果は出ず、結果にもつながらないのです。それは全て皆現実から学ぶことをしていないからです。新年一ヶ月を過ごし問題点が明らかになったことを喜びましょう、後は修正です。

世界平和をお祈りいたしましょう。
Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。    合掌