方策と対策

おはようございます。

今朝も冷え込んでおります。昨日は一昨日と違って朝は冷たさはあったものの穏やかな立春、部屋から眺める景色は春のようでした。節分会採燈大護摩が寒い中でも皆さんと平和を祈り無事にすんだ事で心も穏やかであったからだと思っています。
気持ち、心というものは不思議です、いつも穏やかにあれば周囲の世界、人々も穏やかに接し見られます。気持ちがぶれないという大切さです、感情の動物である私たち人間だからこそ大事でしょう。
怒ったり、自分の欲で人様を視たりすれば全然違った人柄と映ってしまう。
私たちは事を成すことで「為」、何の為かという「目標」を明快にしておく必要があります。そうしませんと世間を騒がせているような「偽装」や過大な「設備投資」、「思いこみ」「希望的観測」で仕事をしてしまい破滅しかねないからです。
先日の法要にたとえてお話しすれば、「法要を成功させることが目標ではありません」、もちろん成功させることは大事です、本来の目標、目的は「人様の幸せを祈ることにある」のです。
何か事を起こして、そのことにだけで「計算」をして、成功、不成功を断じてはならないと云うことです。もちろんその事の反省はしなければならないことはいうまでもありません、本末転倒してただ失敗と断じればどんなに反省をしても「次につながらない」、修正につながらないからです。
その都度その都度の赤字決算では会社は行き詰まることは云うまでもありませんが、上の者が「方策を立て」実行し、部下がはかばかしくない結果を出し、その結果「目標が明快でありませんと」どうしても部下を責めてしまうこととなるからです。
その結果が偽装を犯すような事態を引き起こすのです。
「方策あれば対策有り」で、上が方策を立て、上手くいかなかった場合には部下はその「対策を次に活かすことなく、その場しのぎの対策を講じる」のです。いわば「逃げの対策」です。
それは「何のための商売、仕事かの王道を逸れる」こととなり、結果会社や個人の破滅となるのです。
経営者も働く人も「社会、世の中の為という目標」を明快にしていませんと、人様のためではない「方策と対策」となり気持ちが内向きとなり間違いを引き起こす要因を「育てる」ことにもなってしまうことを恐れるべきです。
上に立つ者が正しい方策「社会のため」という目標を明快にして毎週、毎月、毎年の設定をしませんと、働いている人は「社会のため」という精神を失ってしまうのです。
なぜならば全ての対策が「上司や、経営者に対して働いている人は立てるから」です、結果社会的対策を採らず、「保身の対策」となるのです。
ですから時々の目標達成のための結果から何を導くべきかと云えば、成功裏に終わっても、不成功に終わってもより一層「目標の明快」が大事となるのです。、その上で賞すべきは賞し、反省すべきは反省するというのでなければ、「褒められるため、罰せられないため」といった程度の対策しか働いている人は立てなくなり社会性を失っていくのです。
これほど恐ろしいことはありません。折角社会的認知を得ながらいつしかただ単に売り上げ、成果だけを求めてしまい本末転倒になってしまってはよろしくありません。
「為」という精神をしっかりと確立し、目先の結果に追い回されるような夢のない職場、仕事、会社としてはなりません。
経営者が方策を立てるのは「社会のため」、働いている方の対策も「社会のため」でなければ会社の存続は不可能なのです。
会社が立ちゆかなくなる原因が社会の人を見ずに自分のことだけを考えた結果だと云うことは百%間違いがありません。
今夜は「にんげん学」大阪講座です、社会を作る「にんげん」を学び社会貢献を大いなるものとしましょう。人生という偉大な事業が成功し安定する要は「仁義(知識を人のために活かす)」にあります、会場でお待ちいたしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。
Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。    合掌