割り切れないから情をプラスして

おはようございます。

「祈り」や「にんげん学」を私がなぜ皆さんに強く勧めるかといいますと、人の心とは「割り切れない」ことを知って「心の修練を行って欲しい」からです。
数学やいわゆる云われるところの勉強は知識学、その知識を用いて対人関係を円満に結ぼうとすることは相手が「同じ事を知っているという条件が必要」です。
当然私たちは育ちも知識(価値観)も違うのが当然です。しかしこの当然であることを余り問題にしない認識していないのが現実です、なぜでしょう。それは「心、情で知っていないからです」。
一人で物を持つよりも二人で協力し合い物を持つ方が「より多く、より重い物を持つことができる」にもかかわらず協力しないということもよく見かける光景、会社でもよくあります。
不思議な光景であり、およそ知識人、文化人とはいえない世界を見かけます。これらは全て「心、情を学んでいないから生じる光景」です。
人は効率よく、人よりも上手に、人よりも早くといって知識を得ようとしているはずですが、それがなっていない、おかしなものです。
それらは皆全て「心が無い」から生じる愚かさです。仲間がいるのに一人でやるときよりも効率が落ちる、売り上げが下がるなどといった話にはいとまがありません、なぜこのような愚かな現実が生じるのでしょうか、全て「心の不在」です。
祈りやにんげん学は物を知ることではありません、「道を知ること心を練ること」です。道を知ると云うことは「安定した存続、継続をする」ためであります。
人は知識を得、学ぶのは何のためでしょう。それは「人との和合を図り繁栄を願う」からです。しかし現実は反対のことを行っている。なぜでしょう、ハッキリしています。「根本を知らない」からです。何の根本でしょう。「繁栄の根本」です。
人の理と自分の理は違うのです(学んだことが違うから)。では違う理を「合理的にするには」どうすればいいのでしょう。
「人の心は割り切れない事を知る」です。
割り切るためにはどうすればいいのでしょう、頭の良い皆さんであれば任天堂のゲーム機で鍛錬しなくとも直ぐ判るはずです。
そう「足せばいいのです」、何を足せばいいのでしょう「思いやり愛情」です。これで「割り切れて」仕事も人間関係もスムースに行くのです。
理屈で判ってそう簡単に現実に活かすことができるかと云えばそうは簡単にいかないのがこれまた現実です。
ではどうするか、「修業・修練」です。
皆さんは夢、希望、目標を実現しようとする「強い意欲がありますか」さてどうでしょう。ご自分のことです。
修業には「場と所」が大事です。どこででもできるなどと云うことはこれまたあり得ない、人生をなめています。是非「心華寺」で修業を積んでください。
祈り、学び(心の)はご自身の「心を練り上げる」ために行うのです。どのような人と出会っても「合理的に出会う人間性を養う」ことが修業です。
頭で理解したくらいではお話にならないのです。「体で魂で体得する」ことが大事です。このように強く書きますのはいろいろな人と会い会社を訪問し、折角働いているにもかかわらず、「割り切ろう、割り切ろうとして疲れている人を観る」からです。
知れば絶対だと誤った知識からの思考で疲れ果てた人を見かけるのです。そしてせっかく出会った仲間と「不信感を以て仕事、生活する不幸な姿を見ているから」です。
協力も協調もせず、仲間がいがみ合っている不思議な会社、仲間をよく見かけます、自分の不幸を自分が招いているのを知らずに周囲の文句を言っている、私には信じられない現実なのです。
明日は「にんげん学」東京講座、「心の学」をご一緒に学びましょう。そして真の合理的な人生の緒につきましょう、ご一緒に学びを始めましょう。
せっかくパワフルに生まれたにもかかわらずうなだれた人生とせず「未来に夢を持ち」歩むためにも「心の修練を積んでください」。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌