自己否定して新たな構築

おはようございます。

今朝は東京、秋葉原の定宿で朝を迎えました。ゆっくり寝ようと思い昨夜は布団に入ったのですが最初に目覚めたのは3時半、次は5時、そして6時と、結局6時半過ぎに起き出して書き込みを始めました、ゆっくりと寝られるチャンスだったのですが。
昨日冷たいどんよりとした冬空の京都を朝9時過ぎの新幹線に、暫く走るともう雪景色、米原の手前から関ヶ原過ぎ岐阜羽島の手前までは周囲の山の枝が樹氷きれいでした。
名古屋を過ぎれば快晴、静岡を過ぎ直ぐ見事な富士山、麓から頂上まで雪化粧しているせいか今までに見たことの無いはっきりしたモノクロの富士。
昨日東京へ出てきた理由は池尻にある廃校を利用した施設「ものづくり学校」を福井のK社長とご一緒に視察、話を聞きに行ったためです。
世間の人の夢に向かって歩んでいる現実の姿を目の当たりにして非常に刺激、まだまだ井の中の蛙、最近強く皆さんにメッセージを送っていることもありますが、昨日も刺激的でパワフルな人たちと会い気持ちを強くしています。
寺に修業、祈りに来ておられる方で成功している人の共通項を今日は書きます。どんな人が、どんな思いを持っている人が成功へ向かうのか、「過去を引きずっていない人」、「未来を考えている人」です。
失敗や試練は誰しも遭遇します、これはこれで次のステップアップのために必要だったことです、だから「引きずらない事」が重要なポイントです。失敗した事後処理は大事ですが、それよりも大事なのは「未来の構築」です。
このスイッチの切り替え、意識の切り替えができる人が成功していきます。「成功したいという強い意識があるか否か」です。
失敗したと云うことは「未熟だった・無知だった」という現実の「自己認識」が必要です。自分の未熟さを知ったら何をすればいいのでしょう「熟成させる」ことです。「一からやり直し」。
この事実認識を自分がやれるか否かが「ポイント」、「自己否定」です。
自己否定をできなければ「成功はおぼつかない」からです。自己否定できない人が何時までもいつまででも「過去を引きずり前進できない」。
人から否定されるわけではありません、自分で自分を「前向きに否定」するのです、何も恥ずかしいことではないのです。これができないようでは失敗した事柄と同じように失敗を繰り返すのです。
教えを聞きに来て私が教えの「言葉」を発します、成功しない人は「言葉に反発する(私にかも知れません)」のです。なぜでしょうか、自己否定していないから、未来を夢見る意欲が強くないからです。
私の言葉を聞いて自分が否定されているように感じ、反発してしまうのです。その場で理解したような振る舞いをされる方もありますがその後の行動が無い人も同じで、未来に対して強い意識が無いのです。
要するに「未来に対しての行動が無い」のです。このような人は成功はありません。
成功する人は自己否定して「教えに素直に対応する方」です。それは未来志向が強く新たに人生を構築し直そうという「意欲が強い」からです。
だからこそ懺悔し感謝し祈り、瞑想し成功のイメージを強くできて行動に邁進できるのです。そして「口先でない修正」を可能にし、目標に確実に進んでいくこととなるのです。
常々申しますが「師」の大切さです。成功する人たちは「自分の都合で話を聞きに来ない」のです。私の「話をする機会を逃さない」のです。
失敗を繰り返す人は都合の良いことを聞きたがり、都合の良いときに話をしに来るのです。先日も書きましたが世間には自分にとって「いい人、良いお客さん」などはいません。
人生で最も大事な自分の完成をなんの「イメージもなく・お手本もなく」ただ単に成功したいなどと云うのは余りにも勝手で社会がそのような人間を欲するなどと云うことは先ずあり得ないのです。
「私が、私の」という言葉を今日はたびたび使いました、これは法、教えを私という一人称が主体性を持って現実に修養、修業しているからに外ならず、私自身が教えに沿って常に修正している事実から話を書いているのであって、一人称で書く方がわかりやすいと考えているからです。
慢心や、傲慢な気持ちで書いているわけではありませんのでお間違いの無いようにお願いいたします。
今夜は「にんげん学」東京講座、皆さんとお会いできることを楽しみにしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌