鶏と卵

おはようございます。

「にんげん学」京都講座ご参加の皆さんありがとうございました。寒い日でしたが沢山ご参加いただき感謝申し上げます。
精神、心を一定に保ち知識を習得し技術を習得し高め実践する。このことは永遠に変わらない法則。実践し、精神、心を一定に保つ、知識を高め、技術を高め、そして又実践という繰り返しの精神、心のメカニズム、システムは変えてはなりません。
知識の習得、そして技術を高める、高めた技術によってまた精神を高め確実にしていき迷わずモチベーションの落ちない自分を確立できるからです。
この世は変化の連続、変化の連続に対応するために精神、心の一定と知識、技術を高め実践を繰り返すことで鍛えられ対応が可能となるのです。
変化への対応での一進一退、仕事の景気、不景気は必ずあります。時にうろたえることが禁物。この時に法則を信じ、自分の精神、心を一定に保つことができるか否かが問題です。
ここで精神、心の重要性を認識する必要性が出てくるのです。そして先の法則を繰り返すことです。
現実は競合社会です、好むと好まざるとにかかわらずです。私たちは人と競争しているわけではありませんが、この世は変化の連続、想像変化の連続、進化の連続であり、このことをしっかりと認識する必要があります。
そこで常の修練、鍛錬を喜びとする精神の安定、心を一定にする必要があるのです。
人生は自分の人生、どのような現実でも受け入れて対応していかなければならないからです、故に自分の進化、修練を喜びとしていなければ変化に対応はできないのです。
人は人と比べれば知識、技術の習得の遅速、上手下手はあります。しかし上手は何時までも上手ではなく、下手は何時までも下手でないことも事実です。
個々人に習得の時間的遅速はあったとしても、上手下手はあったとしてもその事に慢心し、落ち込んで精神を乱し、心を不安定にしてはならないのです。
知識も技術も「体への刷り込み」です。刷り込みとは「継続によって可能」であり、身についた物は「離れない、忘れない」のです。
思いは簡単にできます、この簡単にできることで「心の一定」が成ると思うのは「早計」です。簡単にできるからこそ「日々心を外に奪われない」ように「法則の繰り返し(学び)」によって心を「真の心にすり込む必要性が」あることを忘れてはならないでしょう。
会社で行動理念、原理原則を唱和するのも同じ意味があるのです。精神、心の安定、一定化するためにも気持ちを込めて、意識を集中して唱えるべきなのです。
心と技術は卵と鶏の話のようにどちらが先後ではなく、先になったり、後になったりするのです。思考して修練、修練して思考の繰り返しが人生です。そこにこそ充実した喜怒哀楽があるのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌