人は人によって人になる

おはようございます。

「にんげん学」小倉講座ご出席ありがとうございました。月一度の大切な時間をしっかりと予定し行動していただき感謝いたします。
一という数で言えば少ないですが、この「一」がなければ何ごとも始まらない大切な一。本当に感謝いたします。一の上に全てが積み重ねていくことができる大事な一。
「一期一会」とは利休居士の言。この一が無ければ「明日は無い・次は無い」という言葉。
皆さんは「情・なさけ」をどのようにお考えですか、私は「自分に厳しく相手に優しく」と情の意味を捉えています。
私は私の人生を大事にしています。私の存在は自分の意識によってその存在を確かにしています。しかし一人考え過ごしていることも喜びですが、それ以上に「人と共にあることの存在を喜びとしています」。
人は自分だけでは生きてはいけません、生命は「他に依存することで維持できています」。このことは皆さんも百も承知。想像したこと全て存在する人様や物、空間、場を通して「投影・表現」できるのです。
自分の思いが正しいと考えているとするならば「行動」が伴っていなければなりません、どんなに正しいと思っていても行動で表現してこその思い、行動が伴わなければ思いとは云えないのです。
後追いで理屈などは何とでも言えることで、理屈を言って許されることほど己を堕落させるものはないのです。全ての進歩も進化も己で閉ざしていることを知るべきです。
一人では生きられない。人は「人によって変わり人となる」。
縁によって大きく人生が変わる。こう考えますと「良い縁でありたい」と考えて人様と接するのが「人情」ではないでしょうか。いかが思いますか、自分が「良い縁になって歩む」ことが人情。
親が子供のために子に乞われずともがんばるように、親の愛に反して子が反発しても又親はがんばるように。
自分が歩んでいる世界で「できる限りのことをする、学ぶ」ことが「使命」だと考える。そこには我欲はなく、ひたすら相手のことを考える、押しつけではなく。これが情であり、個性であると考えるのです。
多くの人は人様との出会いを難しくしているように思えてなりません、私たちの生命は他の存在無くしては存在できないのが摂理。
ですから人間として誕生した途端「他の為に存在した」ことに気づくべきです。そこには「多くの人のために役立つことができることを約束された生命がある」のです。
ではなぜこの偉大な生命を授かったにもかかわらず「活躍の場を自ら放棄してしまう」のでしょうか。
それが「情の捉えたか」です。自分に厳しくするか、他に厳しくするかです。相手を思いやるか、自分を思いやって欲しいと考えるのかの違い、場を与えられる人と、場を失う人ができるのです。
私は「打てば響く人間になれ」とお話をよくします。目の前の人を「大事にしろ」ということです。一日に何度出会っても一度の出会い、月に一度でも一度、年に一度でも一度、回数にかかわらず常に一度が出会いなのです。
そして一番気をつけなければならないのが頻繁に会う人との意識。「親しき仲にも礼儀あり」という意識を厳しく保っているか否かです。
情の意味のはき違えをしている人は、頻繁に出会っている人に対して、会えば会うほどぞんざいになり、疎かになって甘えていくのです。
たった「一度の出会いから継続が在ったのを忘れ」、一度の重要性を忘れ、「縁を切られて」しまう、それもこれも一期一会の意味合いを真から理解できず起こってしまう結果です。
それほど出会いは大事。ですから一度の出会いをありがたい、としみじみと思い、その人の「情に感謝」するのです。
たった一度でも来てくださらない方はいるのです。忙しくない人はおりません、都合のない人もおりません。そんな中で来てくださる。
ですから相手のために学び、磨き、何をさせていただいたら喜んでいただけるであろうかをいつもいつも考えるのです。
人は他に依存して生きているのです。であるならば「私に依存して欲しい」そして「縁ある皆さんに依存して生きたい」と願うのです。
それも自然に、日々の糧を意識しないで選んで買い求めるように、私を「選んで欲しい」と日々努力をするのです。
何のてらいもなく、自然に欲を捨てて、宮沢賢治が「自分のかんじょうを入れずに」と雨にも負けずの中に書いてあるが如くです。
無意識に選択されるような私でありたい。そして人様を選ぶことなく。情を忘れることなく。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌